神道国際学会会報:神道フォーラム掲載
連載: 神道DNA 「原理主義者を対話の席に引き出す」
三宅善信師

     8月26日から29日まで、国立京都国際会館において、WCRP(世界宗教者平和会議)の第8回世界大会が、100カ国からの正式代表500名を含む2000名の宗教指導者が一堂に会して開催された。1970年に場所も同じ京都国際会館で開催されて以来、実に36年ぶりの里帰りの世界大会であり、わが三宅家にとっても、WCRPは亡祖父(三宅歳雄)や亡父(三宅龍雄)がその創設に中心的な役割を果たし、その後もずっと物心両面からこの運動を支えてきたので、いわば「家業」とも言え、感慨も一入であった。今回の世界大会には、私以外にも、兄・弟・従兄弟がそれぞれ実務の要職について奮闘したので、御霊たちもさぞ喜んでくれていることと思う。
 今回は、このWCRP第8回世界大会(以下、WCRP8と略す)を題材に、宗教界が抱える問題について考えてみたい。今、私の手元には、1970年の第一回世界大会時の公式会議記録集がある。これを紐解いてみると、当時冷戦の真最中であった米ソ両超大国による核戦争の危機や、その代理戦争とも言えるベトナム戦争という世界情勢を反映して、ティック・ナット・ハン師(註=ベトナムの禅僧で、欧米で「社会参画型仏教」を提唱して一世を風靡)らが活躍した様子が見て取れる。
 異なった諸宗教の指導者が一堂に会するという当時としては画期的なこの会議には、39カ国から219人(日本人を除く)が集い、「非武装」、「開発」、「人権」の三部会に分かれて白熱した論議を行った。その受け入れ日本事務局の「会議部」の部長として、若き日の梅田善美氏の名前も見える。この大会には、主な伝統仏教各宗派の管長クラスから、神社界からも佐々木行忠統理や徳川宗敬神宮大宮司が出席し、天理教をはじめ各新宗教教団などからもトップが参加したまさに「オール・ジャパン」の趣のある大会であった。
 『あらゆる暴力を乗り越え、共にすべてのいのちを守るために』をテーマに開催された今回のWCRP8は、参加国数や海外からの参加者数こそ増えたが、果たしてWCRP36年間の実績を反映した「立派な大会」であったかと言うと、必ずしもそうとは言えまい。もちろん、当時は何もかもが手探りであった第一回大会の時とは異なり、日本の社会もはるかに豊かになったし、この種の国際会議を何度も経験してきた有能なスタッフも豊富に揃っていたので、確かに「そつのない」大会ではあったが、内容については「物足りなく」感じたのは、私だけではなかったであろう。
 冷戦終結後、世界は平和になるどころかかえって宗教・民族紛争が激化し、特に、2001年9月11日に起こった「米国同時多発テロ」事件によって、二十一世紀が宗教・民族対立の時代であるということを世界中の人々に見せつけることになった。現在の「戦争」は、かつての国民国家の正規軍同士による国力をかけた全面戦争ではなく、「非対称戦争」と呼ばれる武装勢力と覇権国家との間のルールなき戦いとなった。その意味で、主権国家をその唯一の構成単位とする国連安保理システム(1945年体制)は完全に有効性を失ってしまった。
 そんな時代であるからこそ、諸宗教が平和的に共存している日本の宗教指導者が、現代世界の問題に積極的にコミットすべきであるのに、日本の宗教指導者の多くは、内外に対して「自分たちは諸宗教間対話に熱心である」というポーズを取っているだけのように思われてならない。問題は、諸宗教対話に積極的な宗教者同士の対話ではなく、あたかも、嫌がる北朝鮮の首根っこを掴まえて六カ国協議の席に引きずり出さなければならないのと同じように、諸宗教間対話の価値を否定し、そこから「逃げて」いる原理主義(註=すべての宗教に原理主義的要因は内在している)勢力をいかに諸宗教間対話の場――いったんは「自己の相対化」というアイデンティティ危機を受容する勇気を持たせること――に引っ張り出せるかという努力をこそすべきであると思う。

Copyright(C) 2005 ISF all rights reserved
当ウェブサイト内の文章および画像の無断使用・転載を禁止します。