神道国際学会会報:神道フォーラム掲載 |
神道研究羅針盤
: 吉田敦彦氏に聞く 学習院大学名誉教授 |
他神話との比較で見えてくる 日本神話の素晴らしさ 降参者も価値あるものとして活かされる 民俗学、文化人類学の研究生活に入った大学院時代、わが日本の宗教、信仰というものの本質を徹底的に究めたいと考えました。オランダ、ドイツへの留学から帰国した後は、やがて来るであろう大嘗祭が無事に執行されるように、との願いも込めて、学究に励もうと決意を強くしていました。 しかし、そうした決意や学問への覚悟、自分独自の研究世界が確立するまでには、様々な経緯を辿ったような気がしています。最終的なキーワードとしては「構造」ということ、そして「日本書紀」を読み込むということ――この2つに集約されるような気がしています。 國學院の大学・大学院生であった頃、碩学の柳田國男・折口信夫の両先生から直接、講義を受ける機会に恵まれました。しかし古典や伝承の世界を学ぶ一方で、外国の文化や習俗にも興味を抱き、文化人類学の諸文献も読んでいたわけです。 やがてヨーロッパに留学するわけですが、そこで触れた「構造主義」という視点は、のちの研究に大いに役立つことになりました。 当時、レヴィ・ストロースの人類学における「構造主義」が若い学者の間に流行っておりましたが、留学体験がなかったら恐らく、『大嘗祭の構造』『神道世界の構造』につながるようなものの見方は出来なかったと思います。 もちろん、あらゆる社会システムや人類の文化、人間の考えが構造主義的な手法で解るはずもなく、日本の神話世界に全面的に応用しても無理だということは後に実感しましたが、「記紀」や祭祀に見られる個々の事例を丹念に観察しながら、「構造」的な要素を抽出することは、日本の精神的な世界を学問的に強化するのに重要なことなのです。 このような経緯を経て、私はようやく、「日本における民俗」、「外国における民族」ということが一つとなった学問世界が、自分の中でガッチリと出来上がった気がします。 国学を学ぶ、神道を研究する場合には、国内外の様々な知識を貪欲に取り入れながら、と同時に「日本書紀」を丹念に読むことが必要だと思っています。 その「日本書紀」に絞って言えば、通り一遍でなく、余程、読まないとダメです。私は或るカルチャー講座で「日本書紀」の講師を20年ほど続けましたが、一回に二、三行、場合によっては一行しか進まないこともあるほどでした。 繰り返し読むだけでなく、訳の分からない部分が出てきたら色んなことを考えてみる。考えながら読み込むと、皇統譜の本当の意味も、日本の歴史も、神観念も、そして大嘗祭や式年遷宮のことも、全てが解ってくるのです。 極端に言えば、仮に個々の間違いが出てきても、それは問題でなくなる。背景にある「構造」が見えてくる。日本人として生きる道も実感できる。神道研究の醍醐味であります。 (新潟市の平野邸にて) |
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