神道国際学会会報:神道フォーラム掲載
日々雑感 :梅田善美理事長


荒廃した日本の世相に思う

 海外旅行には、入国審査という関所がある。さまざまな個人情報を書き込み、質問され、そのうえで、パスポートに入国許可のスタンプが押される。
いまから44年前の1963年(昭和38年)、私は初めてアジアからヨーロッパを経てアメリカを旅した。まだ国外にでることは困難な時代だったが、運良く奨学金を得たり、外国にスポンサーを見つけて渡航することができた。
 その時、いくつかの国の入国審査で、質問欄に「あなたの宗教は?」という項目があった。当時の日本人の多くは、「なし」あるいは「仏教(ブッディスト)」と書いていたようだ。私の場合は、「大本」教団に奉仕していたので、「シントウ」と書き入れた。すると、きまって、審査官に「それはなんだ」と質問されたり、「シントウはファッシズムのことではないか」と言われたりした。
 そこで、神道の説明をするわけだが、その当時は、なかなか理解してもらえず、面倒なので、「無宗教(英語ではアテイスト=無神論者)」と答えると、「それはなぜか?」と迫ってくる。アテイストはすなわち無教養者とみなされるのだ。その旅行で私は、欧米人の精神的支柱には宗教が厳然と存在していることを強く感じた。
 こんなことを書き出したのは、今日の日本では、殺人事件が連日マスコミをにぎわし、とくに親が子を、子が親を殺す尊属殺人という極悪の犯罪がつづいているからで、日本社会がこのように荒廃したのは、宗教教育の欠如が根元にあると私は思っている。
 現在、公立の学校では、宗教をテーマにした教科をとり扱っていない。宗教系の私立学校には、その宗派についての授業はあるが、私の考える宗教教育とは、特定の宗派や教義を教えることではなく、人間の存在価値を教えることである。昨今「教育基本法」が改定されたが、その中でも、そのような宗教教育はまだ陽の目をみていないようだ。家庭のなかでも教えられていないとすると、今のままでは、近い将来、日本人はみな、「無神論者」になってしまう。
 最近、新渡戸稲造著の「武士道(英語原題は、ブシドウ=ザ・ソウル・オブ・ジャパン)」が見直されてきているが、その初版の序文の冒頭には、この本を著したきっかけが述べられている。要約すると、新渡戸氏はベルギーの法学者に問われた際、「日本には宗教教育はない」と答えると、法学者は驚いて「宗教なし! それでどうして道徳教育を授けるのか」と言われて、新渡戸氏はまごつき答えに窮した。そこから、「武士道」を再認識したとある。本会の理事に加わっていただいている菅野覚明・東大大学院教授は「武士道の逆襲」という著書で、「武士道は大和魂ではない」と喝破されている。
 宗教教育と道徳教育はかならずしも同じではないが、生命の尊厳と自然との共生、他者への思いやりなど、人間の基本的な生き方を教えることが今こそ重要だと、悲惨なニュースを聞くたびに思いを強くする。


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