訪中チャンピオンと呼ばれて
今年の5月16日に杭州国際空港で入国スタンプを押してもらった。これでちょうど、中国訪問が50回目になった。初めて北京に入ったのは、まだ文化大革命の余燼がくすぶっていた1978年。それから29年、いちおう、北は黒龍江省のチャムスから南は雲南省の昆明まで、そして大同や西安から広州までと、広く中国の各地を旅した。
別に訪中の数が多いからと言って自慢にもならないし、もっと多数回の訪中をされている方も多いだろうが、このように訪問のたびに何回目と数えるようになったのは、1998年9月、王勇教授との面識がきっかけで杭州大学日本文化研究所にご縁ができ、神道国際学会も協力して同研究所内に「日本文化と神道」の講座が開設されることになってからである。
その講座に毎年、客員教授として出講することになり、その際、地元の新聞にインタビューされて、訪中の数を聞かれた。たしかその時は30回くらいだったのだが、記事のタイトルに「訪中チャンピオン」と書かれて以来、意識して入出国のスタンプの数を数えるようになった。
初訪中のときは、文化大革命がようやく終焉をむかえ改革開放路線が始まった頃で、日本との交流も軌道にのりだしていた。その後の中国のものすごい勢いでの変容ぶりは周知のとおりである。訪中のたびに必要だったビザも、今は3ヶ月以内なら不要になった。来年の北京オリンピック、再来年の上海での万国博覧会をめざして、北京も上海も行くたびに姿が変わっている。
30回から50回までの20回はもっぱら杭州である。1998年に杭州で『遣唐使時代の東アジア文化交流』のタイトルで開かれた国際シンポジウムでは、日中両国の文学と歴史の研究者に混じって、私も「遣唐使と神々」のテーマで遣唐使船に祀られたワタツミの神、ツツノオの神、ムナカタの神々を紹介した。私の杭州訪問は、杭州大学から浙江大学、そして今は、浙江工商大学へと、ご縁は続いている。
本号のトップ記事でお知らせしたように、さる5月8日と9日に住吉大社で日中交流1400年記念国際シンポジウムが開かれた。これにつづいて、9月15日と16日には、杭州で「東アジア文化交流の源流」と銘打って、国際シンポジウムが開かれる。おそらくこれが私の51回目の訪中になろう。
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