神道国際学会会報:神道フォーラム掲載
新刊紹介

八瀬童子 歴史と文化     宇野日出生 著

 八瀬童子とは洛北の山里、八瀬の地に住む人々のこと。平安時代から自治組織を形成し、独特かつ厳格な生活習慣、民俗行事を伝えながら長い歴史を歩んできたという。そして現在でも、形は多少変えながらも、その結束力と民俗文化を残しつつ日々の生活を営んでいるのである。
 八瀬童子が突如としてスポットを浴びるのは、天皇の大喪や大礼に際し、駕輿丁として輦輿を担ぐ奉仕をしているのが当の人々であることを世間が知るときである。
もっとも、この供奉は明治以降であり、また昭和天皇の大喪では皇宮警察が担当し、八瀬童子は参列奉仕と霊柩奉仕にとどまったという。江戸時代には臨時の駕輿丁役として朝廷に奉仕し、結婚や出産の祝賀に出向くことはあったとのことだ。
    年貢や諸役を免除されるという特権を持ち、明治以降でも八瀬童子に限って租税が実質免除されるという措置もあったというから、日本の歴史における八瀬童子の存在は特殊な意義を有している。
    ただそれだけに、八瀬童子に対する誤解や、想像の域を出ない認識が多いことを著者は憂慮する。本書において著者は「単なる八瀬童子の歴史ではなく、歴史に裏付けられた文化として、八瀬童子を捉え」たいとしている。
    著者は古文書調査と習俗の民俗学的調査のために八瀬に入り、また、一部を除き長く非公開だった八瀬童子会文書の翻刻、刊行にも関わった。多くの人に八瀬童子の真実を知ってもらいたいとの願いを本書に込めている。

 ▽195頁、1890円、 思文閣出版=075-751-1781

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「日本」とはなにか     米山俊直 著

 昨春に逝去した文化人類学者の遺稿集。著者を知る松田素二氏(京大大学院文学研究科教授)の「『はしがき』に代えて」によると、古希を迎えた著者が2000年に執筆した草稿という。
   京大退官後、大手前大学長に就いた著者は公務や授業、各種審議会への出席……と異常な忙しさのさなか、「その時期であったからこそ、米山さんは、これまでの自分の仕事のまとめ(総合)をすることを強く意識していたようだ」(松田氏)
    また、著者が自分の研究史をまとめることが困難な仕事だったのには「根源的な研究思想に関わる難問」があったからだとして、松田氏は二点の起因を挙げる。一つは対象とするタイムスパンの違い。人類学が対象とする文化は百年単位で認識するのに対し、後期に著者が傾斜した文明学では千年単位の発想が重視される。それを総合する困難さ。
    もう一つは、80年代後半からの、文化人類学を含む人文社会科学のパラダイムに異議をとなえる思潮(ポストモダンなど)の登場、その思潮による実証主義や文化相対主義への批判がある。この流行思潮を知りつつ共感を示さなかった著者が自身の見解を伝えることの難しさ。
    平易な言葉で書かれた草稿の根には、こうした困難を意識しての「人類学と文明学の総合という新しいパラダイム創造への格闘があった」。副題は「文明の時間と文化の時間」。その総合の中に考える「日本」とは何か、である。
    なお著者は長く神道国際学会の理事であり、晩年には副会長を務めた。

▽282頁、2625円、人文書館=03-5453-2011

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