「ぼやき」の種はつきな
寄席芸能に「ぼやき漫才」というのがある。これは一般的なしゃべくり漫才とは違い、その時代に話題になっている事柄について難癖をつけて笑いをとるというものだ。人生幸朗・生恵幸子は 「ぼやき漫才」の第一人者として知られていた。このコンビがいなくなってからは、後継者が育っていない。今の世には流行らない芸風なのだろうが、実は世の中、ぼやきの種はつきないのだ。
お伊勢さん参りのみやげとして有名な「赤福」が賞味期限を偽って販売していた。二日以内に召し上がってください、と書いてあるのだが、実際は、いったん冷凍しておいて解凍した製品を店頭に出したり、作った日の翌日を製造日と表示していたり、売れ残った製品の包装を包みなおしたり、これでもかというほど毎日、赤福のニュースがテレビで流れる。神宮に参拝に行くたび買っていたわれわれには、聞くのも辛いことだ。つい最近も、広く国内に出回っていた北海道産の肉製品や菓子の中身が偽物だったり、製造月日がごまかされていることが判明して、食品管理がやかましくなっている矢先のできごと、『赤福よ、お前もか』、と言いたくなる。創業300年目にして老舗の名が廃ることになった。「責任者出てこい!」
国技といわれる相撲界でも、他人の子どもを預かる「親方」と呼ばれる人間が、ビールで弟子の頭をなぐったりする。問題が起こるたびにいつでも、責任者が出てきてテレビに向かって頭を下げる。そんなシーンを何度見たことだろう。
毎日、世界のどこかで無辜の人々が命を落としている。テロであったり、民主化運動の抑圧であったり、宗教間の争いでもある。日本でも、無残な殺人が次々と起こっている。親が子を、子が親を、ちょっとした言葉の行き違いで、凶暴な行為に走ってしまう。携帯電話のメールのやりとりが「いじめ」のもとになり、自殺の引き金になっていたりする。インターネット上のブログと称する書き込みが、言葉の乱れを引き起こしている。顔が見えないネット上だけに、他人が傷つくことも考えずに、どんな残酷なことも書ける。
モラルハザードという言葉がある。本来は保険用語で、保険を掛けてあるからと、故意や不注意で事故を起こしてしまう危険性を言った。経済全般での倫理の欠如にも広がり、日本語では「倫理崩壊」となる。正直だ、仕事をきちんとする、礼儀正しいといわれた日本人はどこにいったのだろう。「これらの問題の責任者は誰だ!」
と書いているうちに気がついた。責任者の一人は自分ではないだろうか。こうした倫理観や道徳的節度の欠如は、、社会全体の穢れなのだ。ぼやいている場合ではない。日本国民全員の禊祓のために、今こそ、「淨明正直」を旨とする神道人の出番である、と。
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