神道国際学会会報:神道フォーラム掲載 |
** 新春対談 ** 葛西敬之(JR東海会長) & 薗田稔 (神道国際学会会長) 教育の再生と日本文化 |
神職有志や企業経営者等の各夫妻らが参加する研修と懇親の会「七夕の会」。その代表を務める葛西敬之・JR東海会長と、メンバーである薗田稔・神道国際学会会長に、昨今の社会で大きな課題に挙げられている教育の再生や、教育に日本の伝統文化を活かす意義について語り合ってもらった。 教育改革で「社会性」「創意性」「基礎力」を 想像力と応用力が育たない ――何でも与えられる現代っ子 薗田 利権確保を優先する ギルド≠ノよる学校教育に原因が 葛西 薗田:葛西さんは内閣の教育再生会議のメンバーでいらっしゃるし、JR東海・中部電力・トヨタなどの寄付で設立された海陽学園という学校法人の運営にも力を注がれている。ですから今日は、日本が抱える教育問題――学力低下、人間教育のあり方、さらには教育再生と日本文化との関わりなどについて、葛西さんのお考えを伺えればと考えているわけです。 ところで、小学六年生と中学三年生を対象とした全国一斉の学力調査および意識調査の結果というのが最近の新聞に出ておりました。そのコメントを総合すると、基礎的な計算力や知識はあるが応用問題とか記述問題になると対応できないという。調査というのは多分に、される側の構えもあるので鵜呑みは禁物ですが、それにしても今の子どもたちが置かれている教育状況、現代っ子の性格が覗けていて気にはなりました。 葛西:あの学力調査の結果を世の中は、あるいは教育関係者はどう受け止めているのですかね。思ったより悪くないと受け取っているのではないでしょうか。 しかしあれは学校教育の成果ではなく、学校に行き、かつ小・中学生の相当部分が塾に通っている結果としての数字だと思うのです。それでこの程度だということですよね。ですから学校教育のパフォーマンスは著しく低いことを物語っているという気がしてならないのです。 薗田:意識調査のほうでは、案外に家庭で勉強しているような結果で、実態はどうなのかなと。おっしゃったように、都会の子はとくに、ほとんどが塾に行っているようなので……。 葛西:塾の宿題をやる時間という意味なのですかね。われわれが子どもの頃は、家であまり勉強したことがない。本を読んで、外で遊んで、寝る時間も小学生あたりでは九時ぐらい。パソコンもなかったですし。そういう意味では、今の子どものほうが机に向かっている時間は長いと思いますよ。ライフスタイルが違いますね。 薗田:当時は戦争をはさんで、まったく物のない時代で、ないけれども工夫して遊んだのですね。プラモデルみたいに全部揃っていることはあり得ないですから、家中の古釘を探し回って、なかったらどう工夫するかという経験をした。 今の子どもたちはあまりにも揃いすぎている。お金も与えられて、遊ばされている感じです。だから応用が利かない。想像力も育たない。応用問題に対応できないというのも、おそらくそこなのだと思うのです。 葛西:たしかに何でも既製品が揃っているというのは良くないですね。 もう一つ、まずいのは、子どもたちを拘束する時間が長すぎますよね。昔だったら遊びの中で体得したことを、たとえば総合学習と称して教室で教えようとしているわけです。 学校の教室を覗いてみたら、男の子に刺繍をやらせているのですよ。それが全人教育、生活力を高める教育になるわけがない。家庭科の先生の職場を確保するために子どもたちを付き合わせているだけなのです。 つまり今の教育というのは、文科省、中教審、教育委員会、大学の教育学部、それに学校現場や日教組といった人たちが教育を与える側の論理で利権を確保することばかり考えている。教育は利権であり、他人には触らせまい、と。 ひっくるめて教育ギルド≠ニいうか、そういう人たちが利権を守ることを優先して、余計なものをカリキュラムに入れてしまう。教育改革という問題意識は常に出てくるのですが、そのたびに教育ギルド≠フ思いつきや欲望が先になって、結局、その対象となって犠牲になるのは子どもたちなのですね。 教育を見直すには教育ギルド≠解体しなければダメです。今後5年、教員採用を原則、退職教員の二分の一以下に抑制し、必須の事由がある場合のみ個別審査のうえ承認する。また、教員免許制も撤廃する。なぜなら、免許を取得するためには教職課程で67単位、それに加えて教育実習や介護実習までも取らねばならないのですよ。それよりも、教育に明るい校長先生に教員採用の権限を持たせて、専門分野の人や、道を究めた人が教育に入ってくれるようにすることが大事だと思うのです。 読み書きソロバンなど必要な基礎知識と世の中の規律を学校で教え込む。あとは自由に友達と遊ぶ。そのなかにこそ創意工夫があるはずなのですから。 言葉の切れ端の会話 ――携帯メールだけでは感性が貧困に 葛西 伝統の地域コミュニティーには 社会性を育む文化があった 薗田 薗田:学校の改革とともに、子どもにとって大事なのは家庭であり、地域であるとよくいわれます。地方に住んでいても、また私は神主でもありますので、田舎もどんどん変化しているという危機感を強く感じます。離婚訴訟、相続問題が増えている。家族とか地域のまとまりは何処へいってしまったのか、と。 ですから、親子を神社に集める機会を増やしたいと工夫しているのです。お祭りは世代を超えて社会的に触れ合う最高の機会だし、高齢化社会にあってお年寄りが元気を出す意味でも、子どもの心が育つ意味でも貴重です。神社の役割はそういうところにも見出せると思っているのです。 そこで、葛西さんが委員を務めていらっしゃる教育再生会議では、子どもの教育を根本的に検討することが必要な状況の中で、地域コミュニティーとか家庭という問題を論点に入れた議論まで今後、やっていかれるのでしょうか。 葛西:会議は三つの分科会に分かれていて、一つは初中等教育の学校再生、もう一つは規範や家庭・地域教育の再生、さらに一つが大学など高等教育の再生を扱うわけです。 おっしゃった地域社会と学校との関係とか、家庭教育の大切さとか、そうした問題も今申し上げた二つ目の分科会で扱うことになっています。ただ、以前と似たような議論であって、単にニュアンスを少し違えた言葉で作文したものであり、結局は改革にはなりきらずに教育ギルド≠フ都合で取り扱われて終わり、という可能性もありますね。 たしかに今は、一人っ子で両親が共働きというのが多く、三世代同居は少ない。学校に行って適当に授業を受けて、帰ってきて塾に行って……。子どもなりに子ども同士で、あるいは親兄弟で社会性を体験する時間もないし、躾を受ける時間もない。知恵を話してくれる祖父母もいない。となると、テレビゲーム、パソコン、携帯メールということになって、変な世界に入っていく。 社会性や規律というものは知識ではなく、体得するものですからね。それがない世代は携帯メールの言葉の切れ端でやり取りをする。それがコミュニケーションだということになると、感性の貧困な人間になってしまいますね。 薗田:ですからやはり大事なのは家庭なのですが、もう一つはコミュニティーだと思うのですよ。コミュニティーには、子どもから若者へ、若者から大人へと、社会性を身につけながら成長していく伝統を文化としてずっと持っていた。社会が試練を与え、子どもが成長するステップがあった。 今はそのプロセスが無視されているのではないですかね。われわれ神主の世界でも、おたく神主≠ナ社会的にきちっとお付き合いできなければどうにもならない。お医者さんの世界でも、患者さんとうまく対話ができない医学生が増えていると聞きます。 かつては共同生活のなかで年長者が躾をするということがあったわけですよ。悪い面もあるかもしれないが、悪いことも教えられて初めて、本当に悪いのは何かを知るわけですし、抵抗力もつく。 そういう伝統的な社会にあるようなプロセスを学校教育でも考慮して、共同的な体験をさせるとか、もう少しあってもいいのではないかと思います。 日本の地域共同体にあった伝統的な“教育力” 社会性と基礎力を養う 教育モデルにしたい――海陽学園 葛西 古来の通過儀礼的な 共同体システムを応用した教育に期待 薗田 葛西:私が運営に携わっている海陽学園を全寮制にした一つの動機は、今おっしゃったあたりにあるのですよ。バーチャルな世界に引きこもりがちな今の子どもたちに対して、社会性や基礎力を養うこと。 クラスは30人編成ですが、寮(ハウス)には3フロアに20人ずつ、計60人が住んでいる。個室なのですが、皆が集まって勉強するラウンジがあります。ハウスには、1人のハウスマスターに加え、賛同企業から派遣されるフロアマスター3人(独身の男性社員)が生徒とともに生活し指導するのです。 朝6時30分に起床。整列点呼して健康状態を確認する。全員で食事をして授業に行く。その前にベッドを畳んで掃除もしなくてはならない。きちっとしていないと授業から帰ってからやり直しです。洗濯も自分でして、アイロンもかける。 授業と部活動が終わって、夕食などを済ませて、20時前にまた集合。日記を書かせるのですが、15分で書くようにと言っています。それから自習をやって22時に就寝点呼。訓示などがあって寝る。 長期休暇のほかは家には帰りません。法事などは別ですが。原則として寮のスタッフの引率のもと出掛けるのです。 薗田:中高一貫なのですか。 葛西:ええ。小学生はやはり親から離すのが難しい。イギリスなどには8歳から入る学校もあるようですが。 中学といっても1年生はまだ子どもで、当初は帰りたいという生徒もいますからね。フロアマスターは日頃から「この子は元気か」「友人関係は、成績はどうか」と観察して、提出された日記を読んで返事を書いて、場合によっては面談して……。集団生活を安全で活気あるものにしている。親から見ても大変安心なシステムなのですよ。 薗田:場所はどこに。 葛西:愛知県の蒲郡です。海があって、恵まれた環境ですよ。創立して1年半ですから、卒業生を出すのは4年半後です。 フロアマスターとして各企業から派遣される独身社員も、いきなり20人の子どもを見るわけですから大変です。3ヶ月ぐらい経って感想を聞くと、「会社で一年働いた以上に大変でした」と言う。でも彼らはそれを乗り切るのですね。会社に帰ってきたときは、それはもう、彼らも自信がついていますよね。 全寮制の海陽学園はいわば新しい試みで、日本の大企業が提携していて、何とか成功させなければ、と。いい意味での実験であり、モデル作りでもあるのです。 薗田 子どもから若者へ、若者から大人へと心身が転換するアイデンティティーが不安定な時期に、社会的な人間として育つための古来からある通過儀礼的な共同体システムを用意するということは、教育プロセスでもぜひ、考えてほしいと思いますし、成功してほしいと願っております。 文化のなかで息づくお宮に 日本人はごく自然にお参りにいく 葛西 共同体と風土に根ざした神社―― 人々が集い、考える場でありたい 薗田 薗田:それと、もう一つはやはり、子どもたちの人間関係の場が学校以外にないというのはどうも……。複合的な場が必要といいますか、先ほども言ったコミュニティーを大事にしなくてはと思うのですよ。 葛西:社会体験する場が都会の子どもたちにはないですからね。都会のマンション暮らしでは隣の人間がどんな人なのかもわからないし。 そこで、学校がどう関わるかといっても、だらしのない授業と、クラスの秩序を保つので精一杯だとすると現実的には難しい。「放課後にクラブを作って体験すれば」とか、教育再生会議でも意見が出ていましたが、そもそも人間はコミュニティーを自然に学ぶものであって、擬似コミュニティーを作って子どもたちに体験させるというのは、やはり箱庭≠ノ過ぎないのですよね。 薗田:そこで、われわれが、なんとか守ろうとしているのがお宮ということで、そこに自然なコミュニティーがあるだろうと……。 葛西:たしかにお祭りはまさにそういう場としていいですね。 薗田:かならず集落には一つのお宮があって、そういう意味では人間の生活する単位であり、コミュニティーなのですね。 個の存在問題から最初に入っていくと西洋的人間観の流れになってしまいますが、個が目覚めるのは抽象的でない他者とか間柄とかがあってこそですから。日本的、アジア的といわれるかもしれませんが、そういう発想から教育問題も、文化の問題も志向していかねばと思っています。 世界宗教は個の才能が作り出した文明の宗教ですが、神道はもともと自然に根ざした土着の宗教であり、伝統文化です。それこそコミュニティーと風土に根ざしたものですから、教育問題でも、環境問題においても、今一度、自己主張できるものであると思っているのですよ。 葛西:まさにそのとおりですね。文明は機械文明につながり、さらには覇権主義になることもありえますね。 一方、神道は本来、平和な文化のなかに息づいているものですね。日本の風土がそうであるがゆえに、慣習的であろうと日本人はごく自然に、お宮にお参りにいくわけですね。 薗田:半ば無意識でしょうし、信仰なんて大げさに考えていないのでしょうけれども、生活に根ざしたものとして残っているわけですから。 子どもたちが自然の恵みとか、自分の祖先のこととかに触れ、考える契機として神社が感じられる場になればと常々考えているところなのです。 〈終〉 (JR東海・品川ビルにて) 【葛西敬之(かさい・よしゆき)】 東海旅客鉄道株式会社代表取締役会長。1940年東京生まれ。東京大学卒。旧日本国有鉄道入社。JR東海社長を経て、2004年より現職。著書に『未完の「国鉄改革」』(東洋経済新報社)、『人生に座標軸を持て』(ウェッジ)、最近著に『国鉄改革の真実』(中央公論新社)。 【薗田稔(そのだ・みのる)】 神道国際学会会長、秩父神社宮司、京都大学名誉教授。 |
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