神道国際学会会報:神道フォーラム掲載
新進・気鋭 : 板井正斉さん
皇學館大学社会福祉学部助手

神道と福祉研究の関係を見つめる

福祉の現場でフィールドワークに取り組む
 「神道と福祉研究」。形態も方法論も確定しているとは言えないこの分野に、暗中模索で取り組んでいる。
 板井氏の言葉を借りながら「神道と福祉」を一応定義しておくならば、双方向の解釈が考えられそうだ。一つは、そもそも幸福の追求を理念に持つ宗教というもの、その中でとくに神道という立場から福祉について言及していくこと、もう一つはその逆に、福祉の側、その現場の側から宗教とくに神道あるいは広く文化に客観的に言及していくこと―この二つである。
 宗教から福祉へという視点では、すでにキリスト教福祉、仏教福祉などがある。「分野ごとには豊富な成果を蓄積しているが、社会福祉学のメインストリームとしてはあまり論じられてこなかったと言わざるを得ません」と指摘する板井氏だが、「宗教や神道の分野からのみ福祉について言及することが現場のニーズにどれだけのリアリティを持てるのか、未だに自信がないんですよ」と告白する。
 一般的には今、地域福祉学という分野に、ある種の集約が見られ、地方への財源移譲や地域間格差の解消など具体的な課題が議論されるまでになってきたという。「注目されるのは福祉の側から各地域の文化的背景≠どう関わらせるかといった考えが先行的な動きとして出ていることです」
 このほか同氏は、宗教文化に関わる議論に発展しそうなものとして、利用者の趣味や信仰、寝たきりの人の尊厳保持、非言語的なスピリチュアリティに関わるもの――などに光を当てる福祉文化論の動きをあげるが、「それらもやっと議論が始まったばかり」というのが現状だという。

車椅子の神宮参拝にサポート体制を
  福祉の世界ではニーズに合致して、しかも効力が見えないとなかなか相手にされない。そうした現実のなかで板井氏は、確信を保留しつつも「厳しい現実がある福祉の現場を知ることから文化的背景との関係性の設定を試みる」という方向性を選択し、フィールドワークに取り組んでいる。「実践科学である福祉学では、現場にフィードバックできないと意味がない」―少なくともこの論理に間違いはないからだ。
 現場のソーシャル・アクションとして現在、具体的に取り組み始めているのは、車椅子で伊勢神宮へ参拝する人をサポートする体制を確立すること。地元のNPO法人と協力して、市内のどこに行けばサポートを申し込めるかという恒常的なシステムを作り上げようとしている。ここには、利用者のニーズとしてある神道、という図式が明らかに見て取れる。
 「じつは、アメリカで発展した“ソーシャル・ワーク(社会福祉援助技術)”の過程は、神主ほか宗教者の日常的な活動と似ているのではないかと、ふと思ったのです」と同氏は発想の発端に触れる。ソーシャルワーカーと利用者との関係性はその発展から四つにまとめられる。(1)初期の「友愛訪問」に見られる“真の友人たれ”という横の関係。(2)医療モデルや専門性の確立による利用者の上に立つ関係。(3)それはおかしいとの批判を受けて利用者主体が見直された関係。(4)さらには、利用者上位の関係――。
 神職は状況によってはときに上席に座らされるが、“なかとりもち”として神意を氏子にフィードバックするのはいわば宗教的ニーズのコーディネーターである。氏子が相談にやってくれば膝をつき合わせて話し合う……。
 こうした発想や福祉現場での取り組みから板井氏は少しずつ「神道と福祉研究」のあり方へのヒントを掴みつつあるようだ。「フレームの無いことに戸惑ってはいますが、そのフレーム作りに関わることが出来るのは非常に興味深いことです」と語る目は「神道と福祉研究」の将来を見つめている。




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