神道国際学会会報:神道フォーラム掲載
伊勢本街道を歩く (5)  榛原
吉井貞俊氏
(西宮文化協会会長)

 榛原の辻に文政11年(1828)銘の道標が立っており、そこに右いせ本かい道、左あをこ江みちと刻まれている。現在は近鉄線が青山峠のコースに敷設されているため、伊勢街道もこの青山峠越えの道が古来からの本筋であったろうと思われがちであるが、そうでない、この青ごえ道よりも、もう少し南側の山道を大和から伊賀に入らず直接伊勢に向かう道が本街道とされていた。この事は既に本居宣長の時代でも齟齬があり、かの菅笠日記に松阪から吉野・飛鳥と巡ったあと泊ったこの地の旅舎「あぶらや」にて宣長が本街道をゆくと主張し、しりごみする從者達を督促して松阪へ帰ったと記録している。
 このあたり野と山の境に市場と名付けた地名があり、えびす社もまつられている。
 歩いていて気付く事の一つに村々に鎮まる神社の姿が春日造から徐々に神明造りに変化していくこと、これは道端の小祠にまで及んでいるのは興深いことである。
                

(絵・文とも吉井貞俊:絵は本誌に掲載)

 本会会員吉井貞俊氏は現在、兵庫県西宮市に在住し、西宮文化協会会長をしているが、もともと伊勢の出身で、猿田彦神社の社家である宇治土公家に出生した方。氏はその因縁をもって、昭和48年の第60回正遷宮の際、大阪から伊勢まで伊勢参宮本街道を踏破し、さらに平成5年の61回の時にも同じ道筋を歩いたと聞いている。
 そして現在、次回の正遷宮を目ざして、3回目の本街道歩きを始めたとのこと。

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