神道国際学会会報:神道フォーラム掲載 |
** 新春対談 ** 中 西 進(奈良県立万葉文化館館長) & 薗 田 稔(神道国際学会会長) 万葉の心を次世代に語り継ぐ |
あらゆるものに宿るモノ・カミ・神仏 太古から万葉、そして現代へ 「ははそばの母のみこと」「ちちのみの父のみこと」 「海が死ぬ」「山が死ぬ」「たまきはる命に向ふ」……… 今年は大伴家持が「万葉集」最後の歌(巻20、4516)を詠んでから1250年に当たる。悠久の時の流れのなかで、多くの日本人が心のふるさとを求めて、万葉の世界≠訪ね、歩いてきた。人々は一体そこに、何を確認し続けたのか。いつまでも語り継ぎたい万葉の心、古代の心を話し合ってもらった。 万葉の時代――立ち戻るべき心の拠りどころ 薗田 日本人の根幹にある「モノ信仰」を見直そう 中西 薗田:私は埼玉の秩父の出身ですが、「万葉集」の防人の歌に「大君の命畏み愛しけ真子が手離り島伝ひ行く」。これは秩父郡の大伴部少歳という助丁の歌です。さらに大伴家持の長歌に「ははそばの母の命」「ちちのみの父の命」という言葉がある。じつは秩父神社の杜は、古い呼び名で「柞の杜(ははそのもり)」というのです。京都の祝園(ほうその)神社も「柞の杜」だそうですが、この古称を使うのはたぶん2ヵ所だけだと思います。秩父あたりは椚(くぬぎ)や楢(なら)など落葉広葉樹が天然植生ですので、「ははそ」という古言が使われたのでしょう。 そういう風に私自身、それとなく「万葉」に関わった感覚を持って暮らしております。また神主ですので、神道としての原点回帰といいますか、「記紀万葉」という古典、神道でいえば神典を意識しているわけです。 「万葉集」は庶民から王朝人まで幅広く、しかも職業詩人でない人たちの歌を含んで、内容も多彩ですね。律令国家へと移るあの時代の人々の素直な気持ちが歌いだされている。心の拠り所、立ち戻るべき「万葉時代」というものがあって、いい意味でのアーカイズムを求める気風が現代に至るまであるような気がしています。 そういう意味で日本人の宗教伝統も、とくに神道はその代表ですが、いわゆる教団としての宗教のあり方ではなく、文化としての宗教的なあり方として捉えられるだろうと思っているのです。近代の国家神道が残した影響は依然としてありますが、しかし、そもそも排他性をもって信仰するという意識ではない、生活における文化の内容として、自然に営んでいるものなのです。 そうした神道が立ち戻るべき古代として万葉の時代があると考えたとき、万葉にみえる日本人の心とは何か、あらためてうかがえればと思っているわけです。 中西: 日本人の心の根幹には相変わらず、神を「モノ」としてみるという思考があるのではないでしょうか。ですから今の時代、この「モノ信仰」というものをあらためて見直してみることが必要だと思うのです。というのは、明治維新における廃仏毀釈、神仏分離というものは、いったい何だったのだろうと考えるのですね。 歴史をたどると、権力者が「権」を持つとき、かならず宗教的な裏づけを持たねばならないという構造があります。六世紀に天皇家が権力を確立したとき、やはり宗教的なバックが必要だった。何を使ったかというと仏教です。それ以前は物部に代表されるモノ信仰だった。その物部に、仏教を信奉する蘇我が勝利したということは、やはり太古のモノ信仰を背景とした古代王権が倒れて、新しい仏を軸とする王権が成立したということだろうと思うのです。 やがて1185年に平家が滅亡し、仏教を拝する公家王権は倒れた。古代の終焉ですが、以降は模索の時代が続きます。たとえば信長や政宗には、キリスト教をバックとした政権を作ろうとした意図がみえる。秀吉や家康は仏教を圧倒し、しかし完全には滅ぼさずに取り込みながら、まったく新しい儒教というものを導入した。そこに徳川幕府があるわけです。 そして1868年、明治政府ができますが、ここでも政府はバックに宗教的なコンセプトを持たねばならなかった。神道を採用したわけですが、これこそが廃仏毀釈なのですね。ですから私は、神道というものが王権と結びついたのは、それが初めてではないかとさえ思っているのです。 とかく神道を古来のものと位置づけてしまいますが、神道の成立というのは案外遅いですよね。神の存在はもちろんありましたが、古代は仏が尊重されました。近代の神道は、お話に出た国家神道という権力をサポートするものとしてシステム化されたものですので、民衆にとっては必然性のない制度であったのは当然です。 しかし今や富国強兵はもちろん、その後の経済立国とも異なる「科学創造立国」を目指そう、などと言われています。混迷の時代にあって、宗教とは何か、我々は何をどう考えていかねばならないか、新たな課題が出てきている。そこで、さてどうするかというときに必要なのが、モノ信仰を見直してみることだと思うのです。 「モノ信仰」は単なるアニミズムではない 中西 ムスビの働きをするモノ――祀られてカミへ 薗田 中西: 「モノ信仰」は、縄文の頃にオセアニア方面から日本に上陸してきたマナの思想です。マナが日本語になるとモノになる。精霊信仰であるマナ信仰が日本のモノ信仰になりました。 しかしこれは体系的ではないし、聖典や規範も持っていないので、宗教として成立しないとされている。宗教というものを一つの至上概念と考えたとき、低俗な下位概念だという列格を与えられてしまったわけです。しかし、インドのヒンズー教、中国の道教などを民間宗教として認知するならば、それに立派に対応する日本人のモノ信仰、いわば「モノ教」を大いに認めるべきだと思うのです。 ですから、古代に帰るという場合でも、もう少し煮詰めて、モノ信仰とは何か、それが日本人にどう保存され、生き続けてきたのかということを考えてみたくなるわけです。まさに「万葉集」にも、「山や海が死ぬ」というような歌があります。これなども、やはりモノ信仰なのです。 例えば天台本覚の思想、つまり山川草木悉皆成仏という考え方があります。ここにもモノ信仰は受け継がれている。すべては仏心を持つのだという思想の発展が日本で可能だったのは、あらゆるものにはカミ・モノがいるのだという本来的に日本人が持っていた考え方を除外しては理解できません。 薗田: マナといいますと、宗教学では一種の呪力、神聖な力という意味で使いますね。おっしゃった「モノ」にも深い意味を込めて触れられたと思うのですが、別の言い方をすると、たしかにモノには命があって、その命の働きを神道ではムスビと表現します。すべてのものに命が共有され、ムスビの働きをする。そういうモノであり、ですからモノノケであったりするわけですね。 そのなかで、祀る対象として選び取られた場合に、カミ・神という言葉が使われたのではないかという考えを私は持っております。しかもカミは垂直な上下の上ではなく、源なのです。生命的な源として普段は隠れた、籠った存在です。だからこそ、祭りでは隠れたものの出現、つまりミアレを待ち焦がれる。人間の側も籠りをして、夜という時間を現われの時とし、ミアレした神を精一杯に接待する。 現象学的な構造でもう一ついいますと、日本ではヨーロッパと違って本来、街の真ん中ではなく、裏、奥、水源などが精神的な中心で、神の隠れるところなのです。年に一、二度は待ち焦がれて、お出ましいただき、祭りをするわけです。 そういう、もともとの神道的なニュアンスで捉えていくと、万物に命があり、それに連なる悉皆成仏・悉有仏性という考え方があり、すべてにモノがあり、そのなかで祀る神を選び取るということが自然に納得できるような気がいたします。 中西: 「モノ」は「万葉集」のなかでも例証がありますし、古いモノが根強く残っていて、我々に囁きかけてくるのでしょう。 もちろんカミも古いものとしてたくさん出てくる。しかし体系的ではなく、気高い何物かにひれ伏す信仰ですね。それは近代に至っても変らない。幕府が儒教で統一しようとしても、武士階級は根本思想と考えたかもしれませんが、町人たちは納得しません。 私が感心するのは、江戸時代の豪商たちは商売の心掛けとして「神仏を尊ぶべし」と自戒していたこと。漠然とした神仏ですが、これもモノ信仰であり、モノを大事にしているのです。 しかし私は、一概にアニミズムとして括るのは嫌いなのです。モノ信仰に基づいて仏教のなかで哲学化、理論化しているのですから、宗教的に成熟しているのです。成熟しているからこそ、規範にとらわれず自由な発想ができる。「米粒のなかにも仏さま」とか、モノ信仰に根強く残る大切な心を復活できるわけです。 死と再生の循環を語り継ぐ日本神話 私たちのいのち≠実感できない現代 薗田 輝く力を持ってこそのいのち 変遷する神話や死生観――今を生きる原点はどこに? 中西 薗田: 我々もべつに狭い意味での神道に閉じこもるつもりはないのです。申し上げた文化ということですね。おっしゃるように、たしかに体系的なものが希薄ですが、文化という言葉だってカルチャーの翻訳語として近代にできたものです。カルチャーはもともと、農耕、耕すという意味なのですね。そういう意味では神道は日本文化そのものである。神道の文化は地域に密着し、大地に根ざした、大地との関わりの中で生まれた人間の営みです。 中西: 普遍的なものと、大和言葉で我々をアイデンティファイするものと、両方ありますからね。大地信仰などはグローバルにアプローチするものでしょう。 薗田: 地母神の信仰などは世界にも、日本にも共通するものですからね。 中西: 地母神との関係でいくと、大国主の信仰はどうでしょう。性を超えているのかもしれないが、男性として設定されています。普遍的には、アルテミスはじめ地母、女性ですよね。やはり、すべてにおいて生産が優先される段階を過ぎると、システマチックになるということでしょうか。統治とか秩序とかを考える時代になると、男性が出てくる。 そうすると、日本の神話は古めかしいといいながら、かなり新しいコンセプトを取り入れている。そういう意味で、アマテラスと大国主を並べたのではないですかね。 もう一つ、大国主と少彦名の話はどうなのでしょうか。二つでなければ物を成すことは出来ないのに、少彦名は常世に帰ってしまう。さながらイザナギとイザナミの話と同じです。イザナミは死んで根の国に行ってしまった。 薗田: 日本神話の語るところの特色は、コスモスを目指すが、完成直前にまた崩壊する、矛盾が噴出する。カオスからコスモスへ、またカオスへ、立ち戻り、繰り返すのです。コスモスは必ずしもユートピアではなく、再びカオス化する。私はそれが祭りの形式にも表れていると考えています。 命はかならず失われるものである。しかし再生する。高天原は死を峻別しますが、黄泉の国はたんなる死の象徴というわけではなくて、生と死の渾然とした、やがてそこから新しい命が生まれるカオスの世界です。生と死、渾然、循環する――そういう思考を日本の神話や文化は語り継いでいると思います。 中西: 死生観にしても原点や分化、変化があると思うのです。そして混迷する現代において、我々はどこを原点として生きていけばいいのかが見えてくればありがたいですね。 命については「万葉集」に「たまきはる命に向う」という言葉があります。死生観、命というのは奥が深くて精神的ですね。 輝かせるもの。私はこれが命ではないかと思うのですよ。輝く力がなくなったら、これはただ生きているだけです。 京都府教育委員会から依頼を受けて「命を深く愛そう」というテーマで中学生の教科書を書かされたのです。そこで「君が命を持っているかどうか、どうしたら分かるか。鏡をみてごらん。鏡の中で君の目が輝いていたら、命があるんだ。輝いてなかったら命はないんだ」という主旨のことを書きました。 薗田: 生命、命の問題ですね。私はよく、ファクトとリアリティーの関係で考えています。生命という言い方をすると、自然科学的に客体化して、たんに生きているというファクトになりますが、命とはリアリティーの問題、心の問題であり、彼らの生命ではなく、私たちの命の問題なのです。 リアリティーとして実感できないから、例えば現代、人を衝動的に物体のように殺せば、それでなくなると考えてしまう。本当は殺したあと、死んだ人のリアリティーは逆にもの凄く大きくなる。そこで初めて、事の重大さに気づくのです。 現代人は生命科学的に命を捉える癖がついてしまっているのですね。そこに根本問題があるという感じがしています。 科学も本来は心の問題に有効なはず 違いの中に共通性を見る豊かな「心力」を 中西 科学も宗教も全体を捉えるバランス感覚を 国際交流――文化の自己理解と相互理解で 薗田 中西: 本当は、自然科学も味方にできるはずのものではありませんか。「心」ってなんだろうと辞書を引くと、「腹」との関連で出ています。「腹を切る―決心する」「腹を割って話す―心を開く」。どうやら古代の日本人は、心は腹にあると考えていたようです。科学者によると、脳の前頭葉の意思決定は、なんとなく悲しいとか、なんとなく気持ち悪いとか、情念的なものを支配できないらしい。別の神経によってコントロールされているらしいというところまで分かってきている。 |
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