神道国際学会会報:神道フォーラム掲載
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伊豆国の小さな古社 楊原神社
   沼津・原田武虎(楊原神社氏子総代)


  伊豆半島西側の付け根、天城山系から流れる狩野川の河口に位置する沼津市は、港町グルメでテレビにもよく紹介される沼津港が有名です。その沼津で、新春を彩るお祭りといえば、締め込み姿の男衆が神輿を担いで真冬の海に禊ぎする「厳冬 海中みそぎ祭り」。霊峰富士を背景に、輝く陽の光が波間にきらきらと照り返すそのなかを白衣の猿田彦に導かれてゆっくりと進む大榊神輿の御渡は、簡素にして神々しい趣があります。
 小正月におこなわれるこのお祭りは、延喜式内名神大社の由緒をもつ楊原神社の例大祭に先駆ける伝統行事でした。ところが、沼津は旧海軍の研究所があったためか、先の大戦末期に空襲で社殿が焼かれ、神輿庫ともども全焼したために戦後長らく途絶えていました。筆者は、京都生まれで大阪育ちの関西人ですが、縁あってこの地に移り住み、思いつき(?)このまつりの復興の言い出しっぺになり、半世紀ぶりの再興を果し、ようやく八年目になりました。
 楊原神社の御祭神は、大山祇命、磐長姫命、木花開耶姫命です。神話にある讒言の影響でしょうか、姉妹が仲良く祭られる神社は珍しいとのことで、家族円満、美と健康、良縁と長寿のご神徳があると、遠方からの参拝者もあります。
 現社地は、北条武田の合戦の際に戦火で焼かれて遷座したと伝えられます。旧社地は富士山、愛鷹山、葛城山、天城山、そして海を越えて利島、三宅島とつづく火山造山脈の「聖なるライン」上に位置し、太古より霊峰富士を遥拝する霊地であったと想像できます。中高年の軽登山者に人気の「沼津アルプス」を縦走ハイキングすると、縄文人と同じ景色を堪能できます。
 「海中みそぎ祭り」の浜のすぐ隣には、大正天皇が愛された「沼津御用邸」が、市民公園として解放されています。当時の木造家屋が運よく遺されたその素朴なたたずまいには、戦(いくさ)や防御にはまったく淡泊なセンスがうかがえます。戦ごとにわが身を焼いて、なお崇敬される楊原神社と御用邸とは、とても相性がいい、と筆者は密かに拝察しています。
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