神輿の巡行に供奉する「町田火消行列」
西金砂神社 丑年・未年の小祭礼で
「祭りを支える誇りと伝統を引き継ぎたい」 掛け声たかく勇ましく振られる纏(まとい)や鳶口(とびくち)、小道具の面々がうたい演ずる御供の唄や道化の演技……。総勢130人におよぶ火消行列が早春の山あいの里をゆく。
茨城県北、常陸太田市の山間にある西金砂神社で6年ごと、丑年と未年に執行される小祭礼で神輿渡御に随伴し前駆供奉(つゆはらい役)を勤める「町田火消行列」の一行である。
本年は丑年。3月19日から4日間にわたって小祭礼が斎行された。弘仁6年(815)から連綿と続いてきた伝統の神事。農期をひかえたこの時節、山から里へと神輿が練り、五穀豊穣と天下泰平を願う。
巡行途次にある町田地区の人々によって奉仕されるのが「町田火消行列」だ。田楽や、各地区の出す山車や花纏とともに祭礼を彩る。「お目あては火消行列」という市内外からの観光客も多い。
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だが、たんなる賑やかしの出し物というわけではない。町田火消行列保存会の会長、川上愛さんは「火消行列は、金砂さんのお神輿が巡っていくときのいわば露払いですから、祭礼に果たしている役割は非常に大きい」と、行列の意義を強調する。
川上さんは高校教師を定年退職し、今は町田町会長も務めている。
町田火消行列が小祭礼に加わったのは延享2年(1745)から。その前の小祭礼のとき、祭りに出払った町田地区で火災が発生した。そこで、町田在住の医者、土岐千角という人が、以前に江戸の神田明神の祭りで見た火消組の行列組織のことを思い出し、それを参考に火消行列を考案したのだという。今年が44回目の参加だった。
「都市部に出る人が多く、演技をやる若衆や子供衆にあたる年齢層の不足が悩み。でも、保存会が『今回も是非』と切り出したら、みんな賛成してくれた。祭りを火消行列が支えているんだという誇りは一致していると感じました」と川上さん。今年の供奉を乗り切ってホッとした表情だ。
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じつは今回の火消行列は12年ぶり。前回の小祭礼は72年に一度という東金砂・西金砂神社の「大祭礼」だったため行列はなかった。また、ごく稀だが「旗お供」といって旗持ちだけが随行して終わりという年も過去にはあった。県の重要民俗文化財に指定される行列だが、必ず見られるという保証はないのだ。
12年のブランクは演技者にも、老齢となった指導者にとっても大きかった。行列は多くの役割ごと、様々な所作や口上で構成されるので、一、二回の練習で修得できるものではない。
しかし動き出せば世話人をはじめとした中老を中心に結束した。休日や、勤め人の帰宅後、地区をあげ、半年近くをかけて特訓を重ねた。
「『金砂さんへの大事な務めだから』と一体になれた。やったあとは我々も、見に来た人からも、『やってよかった』と満足の声があがりました」(川上さん)
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陣羽織、紋付小袖に長烏帽子をかぶり、金銀の扇子を持った凛々しい火消頭(小学生の男の子が務める)が馬に乗っていく。纏振りや鳶のあとから、先小道具の若衆が「御供の唄」を歌いながら続く。「おいらは町田の伊達男
夫れが嘘なら聞いてみな ドッコト メカショメショ……」。大らかな歌に笑いが湧く。笑うことで運気と幸せが人々にもたらされる――。
川上さんは「形のすべてを、ずっとそのまま残せるかどうかは、分からない。時代に合わせねばならない部分も出てくるかもしれない」と言う。実際、子供衆の務める3、40人の小姓役や青侍役は町田のみでは足らず、近在の小・中学校に参加を呼びかけてもいる。
「そういう現実が確かにあります。でも金砂さんに奉仕する伝統ある文化だからこそ、ぜひとも引き継いでいきたい。いかねばならないと思っています」と静かながら固い決意をみせている。
おそらくそれは、町田地区みんなの願いであることを感じさせる言葉だった。
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