検閲された日本の戦後を見る
今年4月上旬、鶴岡八幡宮の吉田茂穂宮司の講演をアレンジしたメリーランド大学を訪れたときに、同大学の図書館に付設されている「プランゲ文庫」を見学することができた。
昭和20(1945)年8月15日、日本は太平洋戦争の敗戦を認めて降伏、その半月後には、アメリカ太平洋陸軍総司令官のダグラス・マッカーサー元帥率いる連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が進駐した。GHQは矢継ぎ早に多くの占領政策を打ち出し執行した。神社界に関する「神道指令」はそのひとつである。より徹底して行われたのが、日本の出版物の検閲であった。1945年から48年までの4年間、GHQの民間検閲局(CCD)は、プレスコード(日本出版法)を発令して、新聞、雑誌、図書、パンフレット、ポスター、地図、報道写真など、個人、団体を問わず、日本で発行されたあらゆる印刷物を検閲し、違反とみなされるものには、発行禁止や内容の訂正を指示した。そうした膨大な検閲関連文書が今、「プランゲ文庫」として保存されているのである。
プランゲとは、ゴードン・W・プランゲ博士のことである。同氏はメリーランド大学で歴史を教えていたが、陸軍に応召し、GHQの一員として日本に赴任し、後には民間人としてマッカーサー歴史室で主任を勤めた。1984年にCCDの検閲が終結したとき、のこされた文書の歴史的価値に注目した同氏は、その膨大な資料をメリーランド大学に譲渡されるよう尽力し、実現した。託されたメリーランド大学の図書館では、「プランゲ文庫」を併設して、資料の整理と保存に力を注いできた。
私たちは、坂口英子・プランゲ文庫室長の案内で、長年にわたって整理されてきた資料を見学した。新聞が1,804タイトル、図書とパンフレットが71,000タイトル、雑誌は13,799タイトル。戦後の物資の乏しい時代の印刷物だから、紙質はとても悪い。腫れ物にさわるように開いた書物には、私が若き日にアルバイトしていた進駐軍キャンプで見た将兵たちの豊かな生活とはまったく違う、当時の日本人の逼迫した暮らしぶりが投影されていた。 私たちが神道関係者と知った坂口さんは、保存資料の中でも宗教関係のセクションに案内された。そこには神社や教派神道系の図書や雑誌が数多くあった。鶴岡八幡宮にかかわりのある印刷物も見つかった。日本の戦後史を研究するには欠かせない資料ばかりである。
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