神道フォーラム 第29号 平成21年9月15日刊行

日々雑感: 「国際連合とNGO」梅田善美理事長

「Shinto」=「nature」か?

    今年の2月22日に鎌倉の鶴岡八幡宮直会殿で本会が開催した神道セミナー「外国人研究者が語るお伊勢さん」を記録したDVDと講演録ができあがった。すでに本会会員には送られているので、気がつかれた方も多いかと思うが、当日の4人目の講師ジョン・ブリーン先生は講話をこう締めくくった。
   『今日のお話は、学者ではない多くの欧米人にショックを与えるかもしれません。(中略)神道=ネイチャーというのが、学者でない多くの欧米人の神道に対する見方です。じつに、鎮守の森を預かっている神職こそが環境問題、ネイチャーについて発言する立場だ、という考え方が充分に成り立つように思われます。(後略)』
   この発言がヒントになったわけではないが、このページ上で紹介している本会設立15周年記念シンポジウムは「神道の立場から世界の環境を問う」を主題とする。
   講師のトップバッター、薗田稔氏は、神職としても学者としても《森に生きる日本文化の意義と価値》を、日本でも海外でも説き続けている。続く畠山重篤氏は、森と海と鉄をつないだ地球温暖化を防ぐ実践活動により、鎮守の森だけでなく鎮守の海をアピールする人気のスピーカーだ。トリの講師、中野良子氏は産土の森と八百万の神にはぐくまれた日本民族の原風景を世界中に発信している。
   黙っていて環境問題をアピールできるわけではない。神道がおのずから持つ環境を守る文化を、世界に向けて言挙げする努力が求められている。国連NGOとして、本会が活動し続けている目的の一つでもある。
   「ネイチャー」は「自然」とも訳され、「本質」とも訳される。環境問題では「自然」と「本質」の両面が重要視されなければならない。自然を人間の利便性のために開発するのではなく、自然と人間が共存共栄するということである。シンポジウムを締めくくり、未来明るくあれと祝福するクロージング・コンサートでも、それが歌い上げられるだろう。
   秩父神社を舞台に日本語で語られる神道の立場はディープ・エコロジーに基づくものである。日本人だけでなく、世界の人々に神道とネイチャーの本質的なかかわりを伝えたい。

連載・神道DNA「ゴッド・イズ・ラブ・アンド・ピース」 三宅善信師

   神道国際学会が設立15周年を迎えた。設立当初から、微力ながら関わらせていただいている者としては、格別の感慨がある。既に物故者となられた中西旭初代会長、米山俊直二代副会長のご功績は申すまでもなく、創設以来、物心両面にわたって多大な貢献をしてくださった初代副会長の深見東州先生に、格別の謝意を献じたい。
   もともと「世界宗教」であった仏教やキリスト教やイスラム教とは異なり、ある意味「日本人にしか解らない部分がある」と思われていた神道を、広く国際的に理解してもらうという大それた試みに興味を感じてこの会に入らせていただいたが、実際に判ったことは、実に多くの外国人研究者が、日本人以上に神道の本質を理解していたということと、私が思っていた以上に、日本人自身が神道の本質について理解していなかったという事実であった。これは、広い意味での「現代日本人」一般はもとより、現場の神職や神道の研究者についても言えることであった。
   その意味で、神道国際学会がこの15年間に果たしてきた役割は大きい。日本国内においては、神道というものに対する新しい見方(気づきの機会)を提供し、国外にあっては、「深い理解」をしているとはいえ、「マイノリティ」として世界各地に点在していた研究者同士が相互に交流し、広く社会に発表する機会を提供してきたことは、「神道国際学会があったればこそ」のことと、大いに自慢して良いと思われる。
   さて、この構造は、何も神道国際学会についてだけ言えるものではない。私の本来の研究テーマは、「宗教対話の方法論」についてである。人は、自分が持っていないものを持っている人と出会ったとき、二種類のアンビバレントな感情を持つ。ひとつは「警戒感」という拒絶反応であり、もうひとつは、「好奇心」という親近感である。前者は当然、彼我の相違点を探そうとし、後者は当然、彼我の共通点を探そうとする。それは、「宗教現象」を研究テーマとしている宗教学者だけでなく、日々、布教活動に取り組んでいる現場の宗教家においても言えることである。
   私が、研究者としてだけでなく、実践家としても長年、身を置いてきた諸宗教間対話の世界においても、面白い現象が見られる。多くの人は、ひどく狭い教条主義的な「原理主義教団との対話は難しい」と思い、一方、「リベラルな教団との対話は容易である」と考えがちである。
   しかし、実際にはものごとはそう単純ではない。よく言われる例に、「登る道は違っても目指す頂上は同じである」という言葉があるが、とんでもない考え違いである。ものごとはプロセスこそ肝心であり、また、たとえ同じ頂上に辿り着いたとしても、そこから東を向いて見える景色と西を向いて見える景色はまったく別のものである。ところが、この「登山道の譬え」を主張する人ほど、その構造上の問題点を指摘されると機嫌を悪くする例を私は何度も見てきた。
   また、宗教対話の世界で陥りがちな勘違いとして、宗教会議を終えた宗教者同士が別れ際に、「ゴッド・イズ・ラブ・アンド・ピース(God  is Love and  Peace)」と言って、お互い解り合えたような気分になって抱き合ったりしている。しかし、イスラム教のゴッド(アッラー)と神道のゴッド(カミ)は別物であろう。また、キリスト教のラブ(アガペー)と仏教のラブ(メッター)も、さらに、ユダヤ教のピース(シャローム)とヒンズー教のピース(シャンティ)も、皆それぞれに別物であろう。さすれば、実際には、相互に似て非なるものを「解り合えた」と勘違いしているだけに過ぎないのである。
   ただし、お互いが解り合える方法がまったくないかと言えば、実はそうではない。先ほどの例で言えば、「ゴッドとラブとピースは、それぞれ別物である」と言ったが、一見、宗教性にはまったく関係ないと思われていた「イズとアンド」の部分については、まったく意見が一致しているからである。すなわち、「A=B+C」という数学的な論理構造の部分である。実は、諸宗教間の理解とは、この構造の類似性について相互に理解を深めることであり、そのプロセスを通じて相互の信頼を醸成することなのである。
   ところが、「宗教対話」を売り物にしている教団ほど、この基本構造の部分に対する畏敬の念が乏しいのが現実である。ラブやピースの厳密な定義を棚上げにして、無批判な「実践活動」による量的成果(金額や動員人数の多寡)を競うのである。そして、その活動の構造上の問題を指摘する者に対しては、「対話を妨げる者」として、容赦のない攻撃を加えるのである。これなら、はじめから対話を拒否する原理主義教団のほうが、スタンスが定まっているだけ社会的実害が少ない。彼らにも「A=B+C」という数学的な構造の部分は理解できるし、その構造に沿って説明していけば、彼らも納得できるからである。皆さんの周りにも、心当たりの教団があるであろう。

新理事紹介:J・P・ムケンゲシャイ・マタタ理事

   「ユーザーは今、何を求めているのか、何を作れば買ってくれるのか、メーカーは必死に考えますよね」
   宗教あるいは宗教者も同じだと言い切る。おおよそ人間は、苦しみ少なく、癒されながら、より良く生きたいと願う。「その求めに対応できる聖なる場を、宗教はいかに提供していくか――。これは宗旨宗派に関わらず、すべての宗教者が真剣に考えなければいけないことなのです」
   「人間が幸福に生きるには宗教が不可欠」との信念を曲げない。また、自身はキリスト教徒だが、文化や宗教の相互理解によって共感を深めることが人類の平和と安寧につながるとの確信から、異文化研究に費やす努力も惜しまない。
   「たとえば日本人の精神の奥深くにある観念や感性には、やはり神道的なものが流れていると思うのです。素朴な信仰という表現で言われるものよりも、さらに古い、もっと深いものです」
   「もちろん歴史的にみれば、神道も誤った方向に踏み外したこともあるかもしれないけれど、良いもの、価値あるもの、誇れるものが組み込まれている。自然観や、社会や組織のつながりを大切にする心など……。自信を持ってそれを世界に伝えることは、もっとあっていい」
   28歳での来日以来、長く日本で生活するなかで、神社と祭りの現場に飛び込み、それを成り立たせる世界観や、そこにある価値観を体感しようと努めてきた。
   「祭りは人々の協力によって成り立つ。それぞれが果たす役割が大切にされる。そして人々の精神的なつながりができてくる。現代は個人主義といわれ、日本的なものは崩壊したようにいわれるけれど、そう簡単にはなくなりませんよ」
   研究や知識の養成は大事にするが、なぜ研究するのか、なぜ勉強するのかを常々考えている。それこそが、人々が分り合い、共感し合い、より良く生きるためだとの結論に結びついていく。
   「ですから、神道国際学会は客観的に研究し、研究者が交流する団体だけれど、多少は、そういう生きている人々の、生きるための模索に関わる場、舞台であってもいいと思っています」
   コンゴ民主共和国生まれ。アウグスティヌス大学、サン・シプリアン神学大学を卒業後、来日。上智大学、同大学大学院博士前期課程修了。カトリック東京教区広報委員。一九九八年からオリエンス宗教研究所所長。著書・論文多数。

   本紙既報の通り、昨年暮れに開かれた本会理事会で平成21年度からの新役員が決まりました。うち新たに就任いただいた理事は4人の先生方です。新任理事を順不同でご紹介していきます。

理事短信

G8宗教指導者サミット継続委員会で渡欧
三宅常任理事

   三宅善信常任理事は6月15日から3日間、ローマで開かれた「G8宗教指導者サミット」の継続委員会に日本を代表して出席した。同会合では、来年、カナダ・ウィニペグで開催予定の「同サミット」を成功に導くための準備を兼ねて各国参加者と議論を重ねた。同常任理事は、ドイツ・ケルンでの会議(’07年)以来、継続して「同サミット」に関わり、昨夏、関西で開かれた会議では事務局長を務めている。昨今のいわゆる国際宗教会議に関して同常任理事は、「どの会議でも宣言文は出すが、盛り込まれた提案の進捗状況については無頓着というのが多い。今後は宣言や提言の進捗を検証するシステムが必要になってくるのではないか」と話している。
    就職に先立って、経済学を専攻する学生に金融・経済の現場や実際を知ってもらおうという野村證券大阪支店主催の「夏期インターンシップ講座」が夏休み中の約1週間、大阪で開かれた。関西の20数大学から学生多数が参加した。マクロ経済アナリストやフィナンシャル・プランナーなどに加え、三宅常任理事も講師として招聘され、『マネーの復権』をテーマに講義を行なった。同常任理事は、マネーの正体や金融恐慌の実体などについて、興味を持たせるかたちで解説し、学生らを話題に惹き込んだ。
    三宅常任理事の最新著『風邪見鶏――人類はいかに伝染病と向き合ってきたか――』がこの秋にも発刊される。都市と伝染病の関係について、社会文明論的に考察する。

オープンカレッジで諸宗教の神話を比較する講義
岩澤理事

   奉職する麗澤大学の春期オープンカレッジで岩澤知子理事は4日間にわたり「神話で読み解く世界の宗教」と題して講義を行なった。文化の思考様式の基層を成すものとして神話をとらえ、東西の諸宗教それぞれの伝統がどのような世界観、人間観、自然観を語っているのかを解説した。
    哲学者・思想学者らによる新刊論文集『知のエクスプロージョン―東洋と西洋の交差―』(北樹出版)は、岩澤理事の論文「リクールの『悪の象徴論』と日本神話」を収載している。同書は東西思想の差異を比較し、明確化しながら普遍性をも求めていくことに視座を置いた論集。

公開講座「神道と日本文化」(兵庫県神社庁)で講義
薗田会長・ブリーン理事・ベネット理事

   兵庫県神社庁主催の神道連続講座〔その3〕「神道と日本文化―神々と道の文化―」が現在、神戸市の生田神社と長田神社で開催されている。全5回で、すでに第4回までは終了したが、うち3回分で本会理事が講師を務めた。7月12日には薗田稔会長(京大名誉教授)が「道の文化と広場の文明」、8月9日にはアレクサンダー・ベネット理事(関西大学准教授)が「武士道―侍の精神と神道―」、9月6日にはジョン・ブリーン理事(国際日本文化研究センター准教授)が「祭礼空間の歴史的変遷」と題してそれぞれ講義した。

ISF ニューヨーク便り

ボストンで改築清祓祈願、
並びに工事安全祈願祭

   6月15、16日に、ボストンで改築清祓並びに工事安全祈願祭が執行され、ISFからは中西オフィサーが奉仕した。
   「キューピー・コーワ・ゴールド」等の医薬品で知られる興和株式会社が北米で新しい研究拠点を立ち上げる為、コンサルタントとして研究所開設事業に関わったシミズノースアメリカ社の依頼によったもの。
   斎場は、ハーバード大学メディカルスクールの一角、生命科学センター内の新研究所開設現場。40名を超える工事関係者が参列するなか、シミズノースアメリカ社嘉村副社長が典儀の役を引き受けられ、祭典が斎行された。
   世界屈指の学術拠点だけに、研究者や大学関係者が多数含まれた参列者一同は、厳かな神事に神妙な面持ちで参列していた。
   式典後の直会の席上では、中西オフィサーの発声で、参列者一同が工事の安全と事業繁栄を願い乾杯してお開きとなった。
   研究所は年内にも開設の見通しとのことで、中西オフィサーは「今後の工事安全と事業繁栄を祈りたい」と述べていた。

思い出のハドソン川
船上で神前結婚式

   7月11日、新郎ホルヘ・アルカンタラ氏、新婦原田恵里氏の結婚式が、ハドソン川に停泊中の客船上で、中西オフィサーの斎主で挙行された。
   お二人は、ブラジルと日本からニューヨーク州の同じ大学に留学中に知り合い、めでたく結ばれたもので、新婦恵里さんの強い要望で、思い出の地での挙式になった。
   リバーサイドパークから向日葵で飾り付けられた船上に、華やかな赤い内掛けを着た恵里さんが、着物姿のご両親と共に乗船すると、偶々居合わせたアメリカ人からも、カメラのフラッシュや祝福の言葉を浴びせられた。
   初めての神前挙式に、アルカンタラさんのご家族やアメリカ人の参列者も非常な関心を示し、巫女舞が終わって、祭員が退下する際には参列者から惜しみない拍手がそそがれ、外国での挙式初奉仕の中西オフィサーも感慨深いおももちだった。


6月は英語による「大祓と穢れ」

   6月30日に、NYセンターでは、大祓神事を斎行、20名以上の参列者があった。
   式に先立ち、中西オフィサーが英語により「祓と穢れ」について、古事記における黄泉の国、アカデミー外国部門賞を受賞した映画「おくりびと」、ミリオンセラーの歌「千の風になって」、宮崎駿監督の映画「もののけ姫」などを題材に説明した。
   レクチャーの後、参加者は人形で体を撫で息を吹きかけ、オフィサーの先導でご神前に大祓詞を奏上した。

七月は「雅楽と神道」

   7月31日、日本語による神道入門講座「雅楽と神道」を開催した。今回の講座は、雅楽の言葉の定義、歴史的変遷やジャンル、楽器について平易な解説を試みたもので、講義の合間には中西オフィサーによる笙の生演奏も行われた。
    雅楽だけでなく、神楽や里神楽についての映像も流し、解説した。プロジェクターを通じて映し出された日本の祭礼や音色に、思わず「日本が恋しいですね」との声も聞かれた。

※写真、今後の予定などは ISFホームページに掲載。

新シリーズ 伊勢本街道を歩く (11) 田丸 吉井貞俊氏

   田丸という地名、現今は玉城町と称し、神宮の外域を形成する度会の沃野の主邑、中世北畠氏の居城として栄えた名邑であり、朝日新聞を創立した村山龍平翁の出生地としても知られている。さて、その田丸城の天守台址に登って度会の野を見はらしていたら、ちょうどJRの車輌が走ってくるのが見下ろされた。列車でなくたった一車輌だけで運行している。最初の遷宮歩きの際にはSLが長々と客車を連結していたのと雲泥の差である。今や田舎の家を訪ねると何処でも車が置かれてあり、中には、23台家族それぞれ持っているといった世の中、老人対策、学校通いの児童施策をどうするか、日に2、3回しか通らぬバスはすべてガラガラであるのも全く考えもの、バス会社も慈善事業を行っているのではないわけで、この辺のことを地方自治体はいかに対処するであろうかということを山越え野を歩いているとついこの様な事を思ってしまうものである。

(絵・文とも吉井貞俊:絵は本誌に掲載)

   本会会員吉井貞俊氏は現在、兵庫県西宮市に在住し、西宮文化協会会長をしているが、もともと伊勢の出身で、猿田彦神社の社家である宇治土公家に出生した方。氏はその因縁をもって、昭和48年の第60回正遷宮の際、大阪から伊勢まで伊勢参宮本街道を踏破し、さらに平成5年の61回の時にも同じ道筋を歩いたと聞いている。
   そして現在、次回の正遷宮を目ざして、3回目の本街道歩きを始めたとのこと。

話題のこの人:全国の神社に絵を奉納/画家・大西太陽氏

内なる宇宙に光の御柱立つ
漫才師から画家に転身

   神仏の世界を描いてきた大西太陽氏が、祈りの果てに絵で表現したのは、誰の中にも輝き続ける内なる光であった。だから、曇りがちな心身をはらい清めて、ほんらいの輝きを取り戻せる禊ぎが重要となる。魂振(たまふり)のように腹の底から湧き起こる笑いもまた、禊ぎのように働く。大西氏は漫才師・ちゃらんぽらんとして笑いの世界で活躍したが、昨年2月に引退。今はさらなる内なる光を求めて、画業に専念している。
   生まれ育ったのは兵庫県尼崎市で、実家は銭湯。ここでも水と火の浄化力で心身を清める湯浴(ゆあ)み≠ニいう禊ぎの世界と自然につながっていた。しかし、平成7年1月17日の阪神淡路大震災で被災。この日は、大西氏の34回目の誕生日にも当たった。銭湯はアトリエ「太陽美術館」に生まれ変わったが、多くの人々の心身を清める役目は受け継がれた。
   大気汚染、大火災、阪神淡路大震災、JR福知山線脱線事故…幾たびの天災や人災が降りかかってきた庶民の街アマ(尼崎)に足場を置くからこそ底深くからしっかりと光の太柱を立てられるのだという。内なる柱立ての意味も込めて、13年前の巨大な磐座(いわくら)がそびえる越木岩神社(兵庫県西宮市)を皮切りに、神社に絵を奉納する活動は神縁に導かれるがごとく全国へ広がった。
   今年になって、描く絵から神仏の姿が消え、三千社を超えるという社寺参拝も一つの区切りを迎えた。そして、意識が神社の源流である磐座にしぼられ、光の絵が次々と生まれた。太陽崇拝の場として原初のエネルギーがこもる磐座が、「太陽」の雅号で絵筆をとる大西氏を奮い立たせる。「体がすごく熱くなって、何かに突き動かされ、描かんとおれへんようになる」と額に見えてくるビジョンのままに、手が勝手に絵の具を取り、いつの間にか作品が完成するのだという。
   7月17日には、かつてないほどの圧倒的な力に突き動かされる出合いが待ち受けていた。憧れ続けた岡本太郎氏が縄文に巡り合った聖地・諏訪を訪れ、諏訪大社の四社を巡拝している最中、諏訪信仰の源流と言われる磐座・小袋石で、その瞬間は訪れた。岡本氏もたどり着くことがなかった母なる磐座の懐に抱かれ、諏訪の光を無心に描いて、遂に「日本文化の底の底」にぶち当たった確かな感触を得たようだ。
   今、福知山線事故の跡地に、鎮魂のための新たな太陽の塔を建てる夢を抱く。併せて、全国の幼稚園や病院などを訪ねながら、壁画を描いて心身のよみがえりを促すプロジェクトも進行中。
   底辺から内なる光の太柱を世界中に立てていく――大西氏にとっての御柱祭りはすでに始まっている。

伝統をささえる:小笠原流弓馬術礼法 31世 宗家 小笠原清忠氏

一子相伝の道統継承
流儀で生計立てず/血脈の力も助けに
「『礼法』――どこまで向上を望むかはその人次第」

   鎌倉時代から続く小笠原流弓馬術礼法。初代・小笠原長清が源頼朝から糾方(きゅうほう)師範に指名されて以来、道統は脈々と受け継がれてきた。糾方とは「弓・馬・礼」の三法を意味し、「歩射」「騎射」そして、立ち居振る舞いとしての「礼法」が基本となる。
   現在、宗家を預かるのは31世・小笠原清忠氏。道統の継承者として、神社の祭事などにおいて歩射(大的式・百々手式・草鹿など)、騎射(流鏑馬・笠懸など)、ほか諸式を執行する。伊勢神宮、明治神宮、鶴岡八幡宮、靖国神社、鹿島神宮…。神事奉納の数は年間で50を超えるという。
   神事に赴く日数は増加傾向だ。「これには訳がある。明治になり、曾祖父(28世・小笠原清務)の代に小笠原流を一般公開するようになった。しかし『流儀で生計を立ててはならない。仕事を持て』というのが曾祖父の遺言だったのです」
   遺言に沿って小笠原氏も大学卒業後は勤めに入った。行事は可能なかぎり、休みの土・日・祝日に集中させた。「そして定年退職。平日に時間ができて、行事への奉仕が増えたのですね」
「立ち居振る舞い」「礼儀作法」――しつけと礼法教育にも力注ぐ
   江戸幕政期以降、道統継承は宗家による一子相伝となった。「我々は皆さんと同程度に、というわけにはいかない。結果が求められるし、キチンとできて、矢が当たって当たり前とみなされる。厳しいといえば厳しい世界だが、しかし不思議にもキチンと出来てしまうのです。人が言うほどの苦もなく乗り越えてきているのは、やはり血≠セと思う」
   一子相伝であるがゆえに、三世代による日常生活の中で、生れたときから当然のごとく、礼法や弓馬術を叩き込まれた。
   自身の生き越し方を振り返りつつ、今の世の中の礼儀作法への無感覚には危機感を感じている。「核家族では祖父母から日常の立ち居振る舞いを教わる機会がない。かつて小学校などに礼法の時間というものがあったが、それもない。では、躾をどこで学ぶのだ?となりますよね」
   NPO法人小笠原流・小笠原教場を立ち上げ、門人の稽古はもちろん、行政にも働きかけながら子供らへの礼法教育に力を入れ始めている。大学の招聘で客員教授として礼法に関する講義を受け持つことも多くなっている。

   「まず礼法がある。次に弓を引く。そして馬上となる」。小笠原流礼法は足腰の鍛錬でもある。そうでないと馬には、やはり乗れない。鍛錬とは「立つ・座る・歩く」の稽古であり、それはすなわち、美しい姿勢、美しい立ち居振る舞いに直結する。「武家礼法なのでムダは省かれる。前後左右に揺れずに立つ。真っ直ぐ沈み込むように座る。そして肩を揺らさず、腰を振らずに、体の真ん中に重心を置いて滑るように歩く。これで腿の筋肉は鍛えられる。基本所作ができていれば姿は美しいのです」
   「礼法」というものについて小笠原氏は、「ここまででいいやと思えば終わりだし、もっと上をと思えばより上を目指す。そういう性質のものだと思うのです。どこまで自分を高めたいか、どこまでを望むのかは、その人次第です」

鶴岡八幡宮の「流鏑馬」
「特別で大切な奉納神事」

   源頼朝から糾方指南役に命ぜられたことで小笠原流礼法の歴史は始まった。宗家にとって鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)は特別なお社である。小笠原氏の襲名式は同八幡宮で執り行なわれ(平成6年)、嫡男・清基氏の元服式も同八幡宮宮司の立会いのもと行なわれた(平成12年)。
   例大祭期間中の9月16日に斎行される同八幡宮の有名な流鏑馬神事。「やはり鶴岡八幡宮の『流鏑馬』は私たちにとって、大切な奉納行事です」。稽古を見ながら門人から奉仕者を推薦し、最終的には同八幡宮が射手定で決定する。しんがりの射手は小笠原流宗家と決まっている。
   鎌倉武士さながら、狩装束の射手が馬で参道を駆け、的を射抜く。中世を彷彿とさせる勇壮な神事に境内が沸き返るときだ。

   礼法教場を開き、大学で教鞭を執り、子供や若者への躾教育に当たり、執筆に、そして神事奉納に…と多忙を極める。
   そんななか、日本の伝統文化を海外に紹介する催しにも積極的に参加し、各国で流鏑馬神事の披露を行なっている。パリ・エッフェル塔に程近いシャンドマルス公園での神事披露を皮切りに、ロンドンのハイド・パーク公演などをこなしてきた。
   うちロンドン公演は日英両国皇太子殿下の台覧による「鶴岡八幡宮・流鏑馬」。「チャールズ英皇太子は馬上の射手の姿勢に興味を持たれたようです。美しい射手の姿勢を目にされて、身を乗り出してご覧になっておられたことが心に残っております」

神社界あれこれ

祖霊社を創建
埼玉県の秩父神社

 埼玉県秩父市の秩父神社にこのほど、祖霊社である柞(ははそ)祖霊社が創建された。社名は秩父神社の社叢、柞の森に因む。
    同祖霊社はご祭神として幽冥の大神を祀るとともに、秩父神社の神葬祭をもって奉斎する氏子ほか各家庭の代々の御祖の御分霊を招ぎ祀る。
   社殿は、長野県安曇野市に鎮座する穂高神社の20年に一度の式年造替遷座にともなう旧社殿の用材を譲り受け、改修して建立された。


「流れ絵」名人・吉井氏の図巻展
西宮神社

   車窓風景などを連続・瞬時にスケッチし図巻にする「流れ絵」の名人として知られる吉井貞俊・西宮文化協会会長(西宮神社前権宮司)の展覧会「旅路の果て図巻展」が8月15、16日、兵庫県西宮市の西宮神社で開かれた。神社会館フロア一杯に、長大な作品が多数並んだ。
   初発表の「稚内〜札幌」「枕崎〜鹿児島」図巻、かつて訪れたヨーロッパの街道図巻のほか、日本人の独特の観念を表した「百鬼夜行絵巻」「九相図巻」模写、神宮文庫所有(九州国立博物館蔵)の「九相詩絵巻」模写などが展示された。
   展示の一つ、日本人のあの世♀マを描いたオリジナル「神道幽界図巻」について吉井氏は、「神話のあの世♀マはせいぜい黄泉の国£度。その後の内容的な付け加えは仏教が担ってきた。でも、神道による世界観もちゃんとあり、極限に皇室の存在があり、皇祖を祀る伊勢がある。日本は他宗教が入っても、神道も守り貫いているという世界的にもめずらしい国なんです」と話した。


宵祇園の「藤切り」神事
困難乗り越え豊穣と安泰を願う
かすみがうら市の八坂神社

   今夏も各地の八坂神社で祇園祭が行なわれた。なかには伝統の特殊神事を含むものもある。茨城県かすみがうら市深谷の八坂神社では宵祇園にあたる7月25日、「藤切り」行事(市指定文化財・無形民俗)が行なわれた。
   まず神輿の浜下りがあり、やがて還御の途中で藤切り坂にさしかかる。すると切通しになった坂の両土手に陣取った若衆が土手上から藤蔓を振り回して妨害し、これを神輿に従う者が悪戦苦闘しながら薙刀で切る。続いて、坂上近くに横たわった大魚に見立てた丸太をナタで切り落とす。
   二つの障害をクリアするには、汗だくになりながら、たっぷり一時間はかかる。こうして無事に神輿は坂を上り、お囃子の舞台を伴いながら神社に還御する。
多くの困難を乗り切ることを象徴する神事で、これにより五穀豊穣、民生安定への祈りを込める。なお、神輿に随伴の「上当」と、妨害側の「下当」の両役があるが、これは地区内の五集落が5年一周の順巡りで務めるという。

読者からのお便り

富士山のお山開き

   富士山のお山開きは7月1日、閉山式の8月下旬(今年は31日)までに、今年も沢山の人が富士登山をすることでしょう。
   今年の富士山は雪が多く、お山開きの日は頂上までは登れなかったようです。私はお山開きの富士塚で一足早く富士山登頂を果たしてきました。
   富士塚、関東地方以外では聞きなれない言葉かもしれません。江戸時代〜昭和初期まで、富士講の信者が神社などに富士山のミニチュアを東京、神奈川、埼玉、千葉、茨城などに沢山つくりました。その内、江戸時代にできた4つが現在、国指定の重要有形民俗文化財となっています。
 一、下谷坂本富士(小野照崎神社)
 二、江古田富士(茅原浅間神社)
 三、長崎富士(別名:高松富士)(富士浅間神社)
 四、木曽路富士塚 埼玉県川口市
   6 月30日〜7月1日に十条富士(北区指定重要有形民俗文化財)の山開きにちなみ、毎年十条冨士神社大祭が開催されます。
   6月30日夕方、十条駅に着くと浴衣姿の女性も多く300メートル程の参道の両側に200軒程の露天が並び、歩くのも大変な賑わいでした。あまりの賑わいと人出で富士塚への登頂は断念しました(十条富士は何時でも登頂可能です)。
    明けて7月1日、七富士巡りとはいきませんでしたが三ヶ所の富士塚(綾瀬富士、五反野富士、下谷坂本富士)にお参りしてきました。いずれも普段は立入り禁止ですが、お山開きのこの日だけは立入りが可能です。
   五反野富士(西之宮稲荷神社)、ここでお山開きの儀式を見させて頂きました。五反野富士講の方々でしょうか、背中に富士山の模様のハッピを着た方も含めて30名程が山開きの儀式に参加していました。神社の神輿庫にはお見抜き、コノハナサクヤ姫、他二幅が飾られていました。儀式の前に会長さんの許可を得て富士塚に登らせて頂きました。
   儀式は西之宮稲荷神社の神主によるお祓い、祝詞、参列者全員による玉串奉奠となり、私も奉奠させて頂きました。現在は山開きの行事だけを行っており、富士講としての富士山に登ったり毎月の夜講活動はしていないとのことでした。
  何時でも登れる富士塚も沢山ありますので、近くの富士塚での富士登山はどうでしょうか。
(埼玉・ 河辺修造)

都内七富士めぐり

   8月1日(土曜日)、「神道勉強会葦の会」の有志六人は、河辺修三氏(上記参照)にご案内をお願いして、都内の富士塚めぐりをしました。9時半に護国寺山門前に集合、まず護国寺内の音羽富士に登拝、その後、海蔵寺にある江戸時代の富士講の中興の祖といわれる身録の墓前に額づいてから、駒込富士(駒込富士神社)→十条富士(十条富士神社)→田端富士(田端八幡神社)→下谷坂本富士(小野照崎神社↓鉄砲州富士(鉄砲州稲荷神社)とめぐり、登れる富士塚にはすべて登り、山頂のお社に参拝して大満足。関東 各地にあった富士塚も次第に姿を消しているといわれていますが、今も大事に御守りしている人がいるのでしょう、色鮮やかな石碑や注連縄で飾られ、神饌が供えられているところもありました。参加者は、一日で富士山を5回も登ったと、大いばりで解散しました。


   「神道勉強会葦の会」は、毎月第3木曜日の夜に、東京JR原宿駅から徒歩7分の渋谷区隠田区民会館で、神道を座標軸として勉強を続けています。9月17日は、梅田節子氏から『神祭りの場の女性の姿をかいま見る―伊勢の斎王を中心として―』のお話をいただきます。
    興味のある方は、03-3610-5882へお電話をくださるか、メールでお問合せください。メールアドレス=shinto@soleil.ocn.ne.jp
(神道勉強会葦の会)

阿豆佐味天神社 (東京都立川市)

   東京・立川市で最も古い木造建築とされているのが今回お詣りした阿豆佐味天神社(あずさみてんじんしゃ)ご社殿です。
   18世紀始めに建てられたと言われ、現在は覆殿内にございますが、長らく基地の町であったこの砂川町で戦災を免れ、地元の方々によって大切に守り伝えられてきた過去がしのばれます。
   寛永6(1629)年に西多摩郡瑞穂町からご勧請されて以来、水天宮などいくつかのお社も祀られ、良いように配された境内を心地よく風が通りすぎていきます。
その中のひとつ、蚕影(こかげ)神社は、かつて盛んであった養蚕の神として敬われ、蚕をネズミから守る猫はとても大切にされていました。
   近年では、いなくなってしまった猫の帰還にご利益があるといわれ、「猫返し神社」として全国的にも知られています。
   三毛猫が描かれたたくさんの絵馬を見ていると、小さな命を家族同様に慈しむ愛猫家たちの優しく切ない心が伝わってきます。
(東京・MF)

新刊紹介

神社継承の制度史〔神社史料研究会叢書X〕
椙山林繼・宇野日出生 編

   「神社史料研究叢書」は、平成6年に発足した神社史料研究会が開く研究会あるいはサマーセミナーで研究者メンバーにより発表、討議されたものから選び出し、論集としてまとめたもの。本書は第五輯である。会発足の当初から成果の一つとして論集5冊の刊行が目指されていたという。
   同会が名称に「神社史料」を冠し、そこに焦点を当てたのは、「あとがき」によれば、「神社史料」は神社や神道あるいは宗教史の研究に資するだけでなく、地域史や政治史、社会経済史、文化史、そして、さらに広い分野にわたる事象の解明に役立つからだという。
    このような趣旨に沿って、活発な発表と討議が15年にわたって続けられ、これまでに『神主と神人の社会史』『社寺造営の政治史』『祭礼と芸能と文化史』『社家文事の地域史』がまとまった。
   この第5輯も『神社継承の制度史』という主題のもと、多岐にわたる九本の論文を収める。

▽A5判、335頁、7875円
▽思文閣出版=075-751-1781

日本の元徳  菅野覚明 著
    著者は冒頭、『教育基本法』の「教育の目的」(第一条)を意味的にいい直し、「世の中の一員として、まっとうに生きていける一人前の人間を育てる」ということだと語る。そして、一人前の人間であるために「必要な資質」というものがあり、それを教える教育的な観点からいえば、知識・技術の「知育」、体を動かして行為する健康的な肉体としての「体育」、そしてもう一つ、「徳育」があるというのである。
   うち肝心要は、さまざまな資質を使いこなすために主体が持つべき「徳」であり、より根本的な「元徳」なわけだが、いずれにせよ徳は、決して雲の上の話ではないと著者は断言する。「仁だの義だの、克己だの誠実だのと、名前はいかにもいかめしいのですが、これらさまざまな徳というものは、要するに一人ひとりが、ごく普通に生きていくために必要なよい性質・働きにすぎないから」だ。
   普通を成り立たせる性質・働きとしての徳。しかし、あたりまえに見えて、じつは一番難しいかもしれない普通としての徳。我々はそれをどうとらえ、身につけていけばいいのか。本書は、その奥行きを何とかつかみとろうとした先人たちの知恵、教えをとりあげ、分かり易くかみ砕く。

▽四六判、336頁、2520円
▽発行は財団法人日本武道館=03-3216-5147

歌集 豊栄の森  谷分道長 著
   『暁の森』『四季は巡る』に次ぐ著者三番目の歌集。皇大神宮(内宮)の別宮・倭姫宮など、現在まで一貫して神宮に奉務してきた著者。御奉仕と、参拝者との語らいという日常のなかで詠まれた歌の数々である。昭和63年から平成15年までの作歌を収める。
   諸国遍歴をへて、伊勢の地に大御神を祀った倭姫命を慕う長歌「倭姫命讃仰」を添える。
    現在の奉務は別宮・月讀宮とのことだが、多少とも斯界に関わらせていただいている者らにとっては、最近まで「倭姫宮の谷分さん」としてみんなが承知しているご存在だった。お参りすると、同宮社務所前で気さくに参拝者と語らう、あるいは境内を案内される谷分氏の姿を見つけた。平成5年は第61回式年遷宮の年だった。
   浄闇を沓音そろへ進みゆく
   遷御の列に月冴えわたる

▽A5判、136頁、1575円
▽伊勢文化舎=0596-23-5166