神道国際学会会報:神道フォーラム掲載 |
思い出あれこれ (2) 櫻井勝之進氏 |
住も食もままならず これも菊池神社宮司時代の思い出の一つである。昭和20年10月の着任後2年間、私は宮司職舎に住むことができなかった。70余才の前宮司の自宅は熊本市内にあったようであるが、外地から引き揚げの親族たちに占拠されていたために職舎を空けて貰えなかったのである。私たち家族3人はそこでやむなく神社境内の講堂の片隅で暮らすこととなった。湯沸かし場の3畳を茶の間に充て、講師控室を居間兼寝室として何とか過ごしていたのである。 2年目の10月、たまたま私の37回目の誕生日に当たる日の夕方近く、町の駐在巡査がぶらりと訪ねて来たのはよいが、その侭話し込んで夕食時になっても腰を上げないので、結局私は家族とは別々に居間の方で駐在さんと食事を共にすることとなった。主食は誕生日恒例の赤飯であるが、運ばれてきた赤飯を見ると、日常の麦ご飯に少しばかりの小豆を加えたものであった。駐在さんとしては、宮司の食事がどんなものか。ホカホカの銀シャリを常食としているかも、と思い込んでいたにちがいないが、案に相違のヘンな赤飯を出されて、いささか面喰った様子がありありと窺えて、私は笑いを押さえるのが精一杯であった。それにしてもたとえ少量とは言え、この小豆を家内はどうして工面したのか。用務員のオバサンにでも用立てて貰ったのであったか、知る由もなかった。 飽食時代の現代の人々には想像もつかないであろうあの時代をありありと思い浮かべるエピソードの一つである。 (平成17年3月21日) |
Copyright(C) 2005 ISF all rights reserved 当ウェブサイト内の文章および画像の無断使用・転載を禁止します。 |