あなたがもし、「いただきます」という日本語を巧く外国語に翻訳できるなら、今回のコラムを読む必要はない。また、この設問に興味が湧かない人は、このコラムを読んでも仕方がない。何故、このような問いかけを『神道フォーラム』の読者の皆さんにするのか? 実は、私はこの四半世紀の間に百回以上、海外での国際会議に参加した経験があるが、未だに、この食事の際の挨拶「いただきます」にピッタリ来る外国語に接した覚えがないからである。他にも、われわれが普段からなにげなく使う「もったいない」とか「おかげさまで」といった語彙もすべて、一語だけでは翻訳不可能だ。だからといって、ここで難しい言語学について論じようというのではない。
「いただきます」に相当する外国語を思い起こしてみると、英語の「Thank God for providing
us this meal.(主よ。われらにこの糧を与え給うたことを感謝します)」じゃ、まるで修道院の1シーンだ。むしろ、実際の生活では、「Enjoy
your meal!(あなたの食物を楽しみなさい)」のほうが感覚的に近いだろう。また、フランス語の「Bon apetit!(よき食欲を=たらふく喰いなさい)」にしても、中国語の「吃I、吃I!(まあ、喰えや)」という食事開始の号令にしても、日本語の「いただきます」とは明らかにニュアンスが異なる。にもかかわらず、われわれは、この違いに目を瞑ったまま、「いただきます」を、単なる食事開始のための合図として記号化しているから、何となく外国人と意思疎通ができたと勘違いしているだけなのである。
しかし、一歩踏み込んで考えてみると、科学的に言えば「食物連鎖」、宗教学的に言えば「アニミズム的な生命観」で満ち溢れた日本語の「(私のために身を捧げてくれたあなたのいのちを)いただきます」と、ここに挙げた英語やフランス語や中国語の「自己の食欲賛美」とでは、まったく異なる思想的文化的背景を有していることは明らかである。実は、この「違い」の本質的部分が認識できたら、「靖国神社へのA級戦犯合祀」に関する日中間の「歴史認識」の違いも、即座に理解することができる。一方、この「違い」を理解できていない政治家・官僚・経済人・マスコミ関係者等は、対欧米、対中韓、対アラブ諸国等のスタンスの取り方を掴めないと言っても過言ではない。とはいうものの、考えてみて欲しい。果たして、当のわれわれがどれだけ「日本」のことを知っていると言えるのだろうか?
私は、過去八年間にわたって、これらの問題について、インターネットのサイト『レルネット』(www.relnet.co.jp)を開設してこれらの問題提起を行ってきたが、より多くの人に問題意識を持ってもらうために、昨年の夏以来、衛星CS放送の「スカパー!」216chで、『X
Table Yの椅子』という番組を制作して、現代社会に惹起するさまざまな問題を、日本文化の深層に根ざすアニミズム的宗教観の視点から分析して、独自の文明認識を展開してきた。
この度、その番組に対談相手として出演していただいた菅波茂博士(多国籍医師団AMDA代表)、奥野卓司教授(情報人類学者)、ムサ・ムハマド・オマール・サイード博士(駐日スーダン共和国大使)、オリビア・ホームズ師(米国リベラル派教団UUA国際局長)、加地伸行教授(儒教研究家)、アラン・グラパール教授(フランス人修験道研究家)、森孝一教授(米国における宗教と政治研究家)、王勇教授(日中文化交流史研究家)、中條高徳氏(アサヒビール名誉顧問)、亀井静香氏(衆議院議員)ら、まったく分野の異なる十人との対談を通して、一見「文字化け」してしまったこの国の歴史の深層について、ひとつひとつ紐解きながら、解読(デコード)を試みた作品を一冊の本『文字化けした歴史を読み解く――われわれはどれだけ日本のことを知っているのだろうか』(文園社
近日刊)にまとめてみた。この本が『神道フォーラム』読者の皆さんの「歴史認識」の一助になれば幸いである。
|