モスクワで出版祝賀会、モスクワ大学で講演も。
神道フォーラム前号でお知らせしたように、今年5月下旬、初めてのロシア語版の神道事典『神道事典―日本の神、神社、儀式』が出版されたことにちなみ、神道国際学会の梅田善美理事長と梅田節子事務局長が訪露、出版祝賀会がモスクワで開催された。理事長のモスクワ滞在期間は5月22日から26日と短いものだったが、久しぶりのモスクワ訪問にあわせて多くの会合が開かれ、効果的な時間を過した。
人気ラジオ番組に出演
到着の翌日の5月23日(日曜日)には、梅田理事長とエルゲーナ・モロジャコーワ神道国際学会ロシア連邦事務所所長(ロシア科学アカデミー東洋学研究所副所長)は「モスクワのこだま」というラジオ局に招かれ出演した。
人気キャスターのアショット・ナシボフ氏が司会する「将来に戻りましょう」という全国ネットの45分間の生番組で、テーマは「現代世界における伝統的な宗教―変化する時代での神道」。ナシボフ氏の巧みなインタビューにそって、梅田理事長とモロジャコーワ所長は、現代日本における神道の役割、最近の神道の発展、環境問題を解決する神道の役割などについて説明した。番組の最後の10分は聴取者からの質問の時間で、梅田氏とモロジャコーワ氏はさまざまな質問に答えていた。
本番組の記録はhttp://www.echo.msk.ru/contributors/7218/で聴くことができる(ロシア語)。
出版祝賀会を開催
24日には、クレムリンのそばの瀟洒なロシア国立図書館付属東洋文庫で、午後3時30分から6時まで、ロシア語版神道事典出版祝賀会が神道国際学会の主催で開かれた。
出席した43人の中には、事典の著者、出版関係者、ロシア科学アカデミーの準会員ヴラジミール・アルパトフ日本学者をはじめ、学界の代表者、マスコミ関係者などの顔も見えた。
祝賀会はまず、神主である梅田事務局長が斎主をつとめ、神道事典の出版を神に感謝し今後ますます神道研究がロシアで盛んになるようにと祈る神道祭典から始まった。ついで、梅田理事長、ロシアの事務所を代表してモロジャコーワ所長、著者を代表してメシェリャコフ教授(ロシア国立人文大学、神道事典の編集長)、出版関係者を代表してスミルノフ教授(ロシア国立人文大学付属東洋文化・古典古代研究所長)、学者を代表してマズリック博士(モスクワ国立大学付属アジア・アフリカ諸国大学)がスピーチをして、祝賀会のムードをもりあげた。その後のレセプションでは、にぎやかに意見を交わしたり、新しい計画を論じたりして、親交をあたためた。帰り際には、出版したばかりの『神道事典―日本の神、神社、儀式』と英語字幕付きのDVD『日本は森の国』が、記念品として理事長から手渡された。会の様子は、参加された読売新聞のモスクワ支局長貞広貴志氏により、報道された。
25日午前中には、モスクワ国立大学哲学部付属モスクワ宗教学会のイーワル・マクスートウ会長と会談。これからの協力の可能性、将来の交流に関して意見を交換した。その後、ロシア科学アカデミー東洋学研究所に移動。当研究所の副所長であるエルゲーナ・モロジャコーワ神道国際学会ロシア連邦事務所長と会い、事務所の活動について報告を受け、また今後の方針、インターネットの活用法などについて相談した。
引き続き午後6時からは、モスクワ国立大学哲学部で、モスクワ宗教学会の協力により、神道に関するセミナーが開催された。セミナーの前には哲学部長ウラジミール・ミロノフ教授、哲学部の副学部長アンナ・コスチコワ博士と会い、これからの交流の可能性について話し合った。
セミナーで梅田理事長は「日本文化における神道の役割」について講義をし、パワーポイントを使って「日本人の一生―人生儀式」について説明をした。セミナーには50人以上の学生や日本文化に興味を持つ一般の人々が参加した。「モスクワのこだま」ラジオ局での放送を聞いて参加した人もいた。セミナー後には活発な質疑応答がおこなわれ、その後のレセプションの時にも質問があいついだ。参加者の中には博士課程のアンア・ツーリナ氏、アジア・アフリカ諸国大学のヴィクトリ・マズリック博士など、日本学者や日本留学経験者、日本語を学んでいる学生たちで、交流は大変賑わった。
26日の帰国の前には、神道国際学会ロシア連邦事務所があるアジア・アフリカ諸国大学を訪問。レオニッド・ゲヴェリング副学長に挨拶して日ごろの厚意を謝した。
事務所では、ロシア圏の神道研究では第一人者であるメシェリャコフ教授や事務所の事務局長をつとめるウラドレーナ・フェヂャーニナ博士と、ロシアでの神道研究を発展させるための方策など、話し合いを重ねた。
短いけれど実り多い理事長のモスクワ訪問は、ロシアの日本学者や学者たちにも大きな刺激となり、これからの神道研究に役に立つことが期待されている。現に、出版祝賀会に出席した、ウクライナの日本学者でロシア語版神道事典の著者の一人である、セルヒイ・カプラノフ氏からのメッセージによれば、ウクライナの首都キエフでは、この神道事典が日本学者たちの注目を集め、高く評価されているという。
パワースポットを訪ねるツアーが、若い人たちの人気を集めているという。今年2月の第14回神道セミナーを後援していただいた鹿島神宮にも神剣のパワーをもとめて、週末には大勢の参拝者があると聞いた。以前に紹介した「3コウ」(観光、信仰、健康)ツアーがパワースポット・ブームと結びついて、たとえご利益を求めてだとしても、若い人たちが神社仏閣に足を運ぶのはたのもしい。
仏像ブームでもある。ここ数年、東京国立博物館はじめ国内各地の博物館や美術館で催された「国宝阿修羅」展をはじめとする寺宝展や仏像展には延べ人数にすれば数百万人を越える観覧者があったとのこと。今年は平城遷都1300年で、奈良には大きな催しがつづいているので、訪れる人の波が途切れない。そこにもパワースポットがある。
鎌倉時代に定められた御成敗式目の第一条は、神社の大切さを次のように記している。「神者依人之敬増威、人者依神之徳添運(神は敬うことによって霊験があらたかになる。であるから神社を修理してお祭りを盛んにすることが大切である。神を敬うことによって人々が幸せになるからである)」。そして第二条には同じように寺の役割やありかたが示されている。
このような観点に立てば、神社仏閣は参拝者が多いほどパワーが増すのであるから、老若男女を問わず、大勢の人々に社寺に行ってもらい、神々には力を増していただき、人々には幸せになってほしいものだ。
パワースポットでありながら、人が訪れるのを拒むところもある。沖縄に多い神道の原始形態を守りつづけているといわれる「御嶽」(うたき/おたき)がそれである。
最近、八重山諸島めぐりをしたが、どの島にも緑濃い森の中に御嶽がかくれていた。訪う人も少ない聖地の入口には「無断で入ってはいけない」と禁足札が立っている。土地の人たちに尋ねると、そこは神の地であって特定のお祭りの時以外には誰も入れないという。写真を撮ってもいけないのだと、茶髪の若者に念を入れて注意された。近くに行くなら3分間だけだよ、とも。
いずれにしても、こうしたパワースポットが日本全国に遍在しているのだから、日本は、そして日本人は、もっと元気になれるはずだ。近くで元気が出るパワースポットを探すのも一興かもしれない。
宮崎県が口蹄疫禍に見舞われている。「政府と地元宮崎県の初動が遅れたから…」という点については、余人も指摘しているので、あらためて述べるまでもない。私は、今から9年前の春、あのバーミヤンの石仏がアフガニスタンのイスラム原理主義政権タリバーンによって破壊された2001年の3月、私は英国で口蹄疫騒動を実際に体験したことがある。牧畜は西洋文明の根源であるので、稲作漁労文化の日本と比べて、口蹄疫禍の社会に与える打撃は遥かに大きい。殺処分した牛・豚・羊の頭数は、宮崎県のそれと比べても桁違いであった。
実際、英国人の「対策」は徹底していた。郊外の田園地帯はもとより、およそ牛・豚など一頭もいないであろうロンドンにおいても、公園など歩けば靴底に土が付く場所は一切「立ち入り禁止」となった。欧米のように、広大な牧場で放牧されているのなら、ある程度、自然な感染拡大はやむを得ないところがあるが、日本の黒毛和牛のように、一頭一頭、牛舎で個別に飼育されている牛たちの間で口蹄疫が自然感染することなどあり得ない。給餌や掃除や出荷などの作業のために牛舎間を移動する人間の靴底や着衣に口蹄疫ウイルスが付着して感染拡大したのに決まっている。なのに、農水省や県の防疫関係者が牛舎間を巡回するのは致し方ないにしても、東京から大挙して訪れたマスコミ関係者が、傍若無人に畜舎まで車で乗り付けて取材して回っている行為そのものが感染拡大の一因となっているとは、何故、思わないのであろうか?
宗教について考える上で、「牧畜」と「農耕」というのは、ひとつのキーワードになる。ユダヤ・キリスト・イスラム各教(一神教)の元となった旧約聖書の神(ヤハウェ)は、この牧畜をする民を愛した(というよりも、牧畜をする民が創り出した神こそがヤハウェである)。最初の人類であるアダムとエバ(イブ)が産んだ2人の息子カイン(農耕民の祖先となった)とアベル(遊牧民の祖先となった)の兄弟はどちらも、神に対してその初生りを供えたが、神は兄カインの初穂に難癖をつけて、弟アベルの供え物(羊の初子)を受け取った。そのことを根に持ったカインは、弟アベルを殺すという人類史上初の「人殺し事件」が起こるのである。カインは地の表から追放され、エデンの東に住んだ。一方、神は殺されたアベルの代償として、アダムにさらにもうひとりの息子セツを授ける。このセツが「(ユダヤ教的には)正統な人類」の先祖となり、その8代目の子孫が有名なノアである。そして、ノアはその3人の息子セム・ハム・ヤペテとその配偶者たち共に、神によって起こされた「大洪水」を乗り切り、その後の人類の祖先となった。旧約聖書の神ヤハウェは、罪を得て失楽園したアダムに対して「おまえは土(ヘブライ語では「アダマ」)に帰る」と呪い、地を耕すカインを差別し、大洪水によって汚された大地そのものを拭い去ろうとした。明らかに「土」を嫌う神であると同時に、自らの意に添わぬものは、たとえ人間や動物であっても、皆殺しにして世界をリセットすることぐらい平気な神を戴いているのである。
一方、今回の口蹄疫禍の報道を見ていても、「ワクチン注射を打たれる時の牛の啼き声が悲鳴に聞こえた」とか、「(殺処分のため、牛舎に入る人が)牛と目を合わせるのが辛かった」とか、これ以上の感染拡大を防ぐためには全頭殺処分するしかないということぐらい、畜産農家の方々は皆、理屈では解っていながら、それでもなお「忍びない」とか、「申し訳ない」と、牛や豚に手を合わせながら殺処分しているのである。おそらく今回の騒動が一段落したら、大規模な「慰霊祭」も営まれることであろう。人によっては、「どうせ出荷する時には屠殺するのであろう」という人が居るかも知れないが、それは全く違う。たとえ、最終的には人間に食べられる運命であった牛・豚でも、その目的を達せずに無駄死にさせなければならないというのは、文字通り「勿体ない」(註=そのいのちが持っている本来の機能を全うしない)のである。そのことに対して、日本人のこころが悼むのである。
そもそも、今回の口蹄疫禍の根元的な原因は、日本における食肉用「高級和牛」の生産システムにある。超高価な霜降り肉を生産するため、「優秀な(霜降り肉を多く付ける)遺伝子」を有するごく少数の牡牛のみを「スーパー種牛」として独占的に種付け(交尾・人工授精)させ続けた結果、日本中の黒毛和牛の遺伝子の型が非常に似通ってしまったからである。外国のように、放牧地で牛が好き勝手に交尾していれば、牛の一頭一頭は皆、遺伝子の型はまるっきり異なっている。しかし、現在の日本の黒毛和牛のように全頭の遺伝子が平準化してくると、いったん感染症に冒されたら、その原因たる病原菌やウイルスは、次から次へと加速度的にその被害を拡大させていく。何故なら、それらの牛たちは皆、ほとんど同じ遺伝子の型を持っているので、病原菌やウイルスの側も、なんら遺伝子を変異させることなく、次々と感染して行くことができるからである。その意味で、「多様性」こそが豊かな生物圏の持続性を担保しているのである。まさに「八百万(やおよろず)」である。本年10月に名古屋で開催されるCOP10(生物多様性条約第10回締約国会議)に私は出席するが、世界各国からの参加者に対して、この神道的な価値観を強く訴えるつもりである。
国連NGOとして さまざまな会議に出席
先住民問題に関する会議
4月19日から30日にかけて、国連本部において先住民問題に関する第9回常設フォーラムが開かれ、ISFからは中西オフィサー、林原事務主任がいくつかの会合に出席した。
国連総会議場で開かれた開会式ではバン・キムン国連事務総長が先住民問題の重要性に関する冒頭演説を行なった。演説の中で事務総長は先住民の平均寿命が貧困が主な要因で約20年も短くなっていることや、過去百年間に先住民を中心に世界中の言語のおよそ9割が消滅した事を紹介した。その上で国連において先住民問題は40年に亘り重要な議題であり続けており、先住民達はけっして国際社会から孤立した存在ではないと強調した。
中西オフィサーはまた会期中にイタリアにおいて自然信仰を保ち続ける少数民族達を取り上げた「ヨーロッパ先住民の古代の心」などいくつかの分科会にも参加し、高地で自然と共に共存する少数民族の生活に、自然信仰を基盤とする神職であるオフィサーは強い共感を得た。
国際平和会議に参加
4月30日より5月2日にかけ、国連で行なわれるNPT(核拡散防止条約)の見直し会議に先立ち、NGO主催の国際平和会議がマンハッタン北部のリバーサイドチャーチで開かれ、中西オフィサーが出席した。会議には広島、長崎の被爆者を中心とする原水協をはじめとするNGO団体、また広島・長崎両市の市長など600名にも及ぶ日本人が参加し、会期中は日本語の受付や主な会場には日本語通訳ブースも常設してあった。
会議ではまず日本原水爆被害者団体協議会の田中照巳事務局長が、被爆者の一人として核兵器の恐ろしさを語り、人類はもう二度と同じような目に遭ってはならない、「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ」の思いを会場の皆さんと共有したいと訴え共感をよんだ。
続いて、パン・ギムン国連事務総長が演説。会場に集まった被爆国日本をはじめ世界中からのNGOの思いを胸に、翌週からのNPT会議では世界中の核保有国首脳に、核兵器の恐ろしさと核放棄を呼び掛けると約束した。
さらに秋葉忠利広島市長が、2020年までの核兵器全廃絶の為に、核保有国がいかに核兵器を無くしていくか今すぐに働きかけていくべきだと訴えた。また広島・長崎の両市が2020年夏のオリンピックにも立候補した事をあげ、核兵器を廃絶して世界中の皆で平和の祭典であるオリンピックを広島・長崎で祝おうと呼びかけた。
国連では毎週のように、こうしたさまざまな会議が開催されており、ISFも国連ファミリーの一員として活発に参加している。
英語による神道入門講座5月は「献書」
5月13日、ニューヨークのジャパン・ソサエティで書道講師を務める院京昌子氏をお招きして、英語による神道入門講座「献書」を開催した。会場のISFのNYセンターには、アメリカ人と日本人合わせておよそ30名の参加者があり、満員の盛況となった。
中西オフィサーが日本の神社における献書祭や祝詞を通じた神道と書道の関わりについて説明した後、院京氏が参加者に囲まれて書道を実演した。参加者たちは、院京氏の筆先を固唾をのんで見守り、書き終えた後には拍手の嵐となった。
続く、書道を実体験する時間では、参加者達が講師の見本を見ながら一生懸命筆を走らせていた。また院京氏が、アメリカ人の参加者の名前をカタカナで墨書し、それぞれにプレゼントされたときは、大喜びであった。参加者達が自分で書いた書や自分の名前を書いてもらった習字紙を、大切に持ち帰る姿が印象的であった。
院京氏はまたISFに書を奉納され、ご神前に飾られた。オフィスを来訪される方々の目を楽しませることだろう。
ジャパン・デーで神輿清祓を奉仕
6月6日、ニューヨークの中心にあるセントラルパークでジャパン・デーが開催された。このイベントは、2007年からNYで日本文化を紹介する為に日系企業や総領事館の協賛によってはじめられ、今年で4回目を迎えたもの。ISFは第1回目から依頼をうけ、御神輿の清祓を行なっている。
当日は開会式に先立ち、ジャパン・デー事務局や御神輿関係者が参集、中西オフィサーが斎主となって御神輿のお祓いを行なった。参列者一同は御神輿渡御の成功を祈り、代表者の玉串拝礼に合わせて列拝した。御神輿はその後メインステージに運ばれ、おおぜいの担ぎ手達に担がれながら緑濃いセントラルパークを巡回した。
いつも週末は家族連れで賑わうセントラルパークだが、この日は御神輿や伝統色豊かに繰りひろげられる日本のイベントに、多くの人々が足を止めて見物、とくに侍姿のパレードは人気をよび、日本のテレビでも紹介された。
御船祭の魅力をつぶさに
御船や飾物の穂高人形を展示
過去の遷宮を回顧する写真も
北アルプスのふもと、信州・安曇野に鎮座する穂高神社。「延喜式」に列せられる名神大社で、海人族である安曇族の祖、穂高見命を祀る。平成21年の式年大遷宮祭で造替された真新しい社殿が森厳清冽な神域に立ち並ぶ。
例大祭に行なわれる御船祭(9月27日・県指定無形民俗文化財)は、氏子衆が穂高人形を飾った大小五艘の御船(船型の山車)を神社へ曳き入れる神事。御船のきらびやかな様子、賑やかな囃子の音色、御船どうしの激しいぶつかり合いなどで広く知られており、毎年多くの参拝者がつめかける。海洋民族だった安曇族の歴史的な浪漫を彷彿とさせる祭りでもある。
この御船祭に曳き出される御船や、船上に飾られる穂高人形を目の当たりにできるのが御船会館だ。長さが12メートルもある大人船、「義経弓流しの場」「山幸彦」など歴史的な場面を表現した人形飾りが展示される。
穂高人形は表情や姿が感情豊かで、躍動感に溢れている。木や藁や膠など昔と変わらぬ材料を使い、伝統的な技法で製作されるもので、その巧みの技は県指定無形文化財に指定されている。
人形は式年遷宮(20年毎の大遷宮と、その間に2回斎行される小遷宮がある)にも大飾物として境内に飾られる。遷宮コーナーに展示するのは「かぐや姫」「川中島の合戦」などだ。
ほかにも、遷宮にまつわる史料や神宝類、上高地に鎮座する奥宮の資料、安曇野一帯に点在する道祖神の写真や書物、奉納の百人一首絵馬(地元画家・望月章齋、書家・高島章貞〈江戸・明治期〉による)、過去の遷宮における大飾物を回顧する多くの写真なども陳列されている。
▽開館時間=9時から16時半
▽無休
▽拝観料=大人300円、中高生250円、小学生200円
▽場所=長野県安曇野市穂高6079(穂高神社境内)
▽電話=0263(82)7310
熱田参拝を前にお祓いを受けた神社
東海道に沿う鈴の宮
7月末日には茅の輪くぐりも
名古屋市熱田区伝馬。旧・東海道筋に沿って鎮座する鈴之御前社(れいのみまえしゃ)は天鈿女命を祀る。ここを過ぎると間もなく、熱田神宮の森をかすめて、東海道唯一の海上路「七里の渡し」に臨む宮宿(熱田宿)に到着する。
風流な名をもつこの神社は熱田神宮の境外末社で鈴の宮(れいのみや)≠ニも呼ばれて親しまれている。東海道を行く旅人はかつて、ここを流れていた精進川でお清めし、お祓いを受けてから熱田神宮へ参拝した。社名のとおり、お鈴でお祓いをしてもらったという説もある。
例祭の行なわれる7月31日には、疫病除けの「茅の輪くぐり」神事があって賑わい、地元の人々にとっては夏の風物詩になっている。
ご奉遷400年事業で御屋根を葺き替え中
名古屋の若宮八幡社
名古屋市は今年、開府400年の節目を迎えている。慶長15年(1610)、徳川家康による名古屋城築城で都市発展の端緒が開かれた。
家康は築城にあたり、それまで名古屋城のところに鎮座していた若宮八幡社を現在地(現・中区栄)に遷座し、名古屋の総鎮守とした。今年は同社にとっても遷座400年という記念の年ということになる。節年にあたり同社では、ご奉遷400年記念事業として、傷みや雨漏りの生じ始めた社殿の御屋根を改修することとし、銅板葺き替え工事を実施中。今秋には竣功を迎える予定だ。
葬儀事情の課題を討議
にっぽん文明研究所がセミナー
「『急変する葬儀と墓地事情』ふえる無宗教・直葬…/神道改宗から散骨まで」と題したセミナーが5月30日、國學院大学の院友会館で開かれ、パネリストとして宗教学者の島田裕巳氏、葬送ジャーナリストの碑文谷創氏、6月書房社長の酒本幸祐氏が話した。
伝統文化と新しい文明の研究を目指すNPO法人「にっぽん文明研究所」(横浜市)による第66回定例セミナーで、同研究所の奈良泰秀代表がコーディネーターを務めた。
パネリストの各氏は講演のなかで、現代の宗教意識や葬送儀礼、霊園事情について講義し、葬儀に関わる宗教界の課題を提示した。
うち島田氏は現代人の宗教感覚について、「生きた宗教」に関心が向いているとし、「今までの葬送習俗や死者に縛られることに重荷を感じている。しかし、その不安を誰も解決してくれていない」と話した。葬儀についても、都市化によって家単位で葬儀業者に頼らざるをえない現状にあって合理的なシステムは見当たらないとし、「われわれが解放されていく道は今、ゼロベースだ」と、宿題を投げかけた。
神道史学会大会開催
熱田神宮に関わる研究発表
神道史学会の第56回(平成22年度)大会が6月20日、名古屋市の熱田神宮文化殿で開かれ、6人の学者らが研究発表を行なうとともに記念講演として名古屋大学大学院文学研究科教授の阿部泰郎氏が「中世熱田宮の宗教世界― 熱田をめぐる宗教テクストの諸相―」と題して話した。
今大会の発表テーマは「熱田神宮御創祀1900年記念」の意味合いを込めて同神宮に関わるものに絞られた。祭事・祭儀、大宮司一族の活動、神領地の検地、神道諸思想との関わりなどを、文献や絵図など多彩な史・資料から歴史的に考察する発表が並んだ。
うち皇學館大学大学院生の田中天美氏は「御衣祭についての一考察―熱田神宮・氷上姉子神社を中心として―」をテーマに発表。熱田神宮と摂社・氷上姉子神社などの史料から御衣 祭の統一的な性質を浮上させ、「祭の主旨は神の衣替えとして理解されることが多いが、もっと重要な意義があるのではないか。御衣を奉る、御衣を新たにすることで神威が更新されるところにこそ意味がある」と述べた。またその日、全国的に花を奉げる、熱田社や氷上姉子神社では国衙から「八丈芹川」が調進される、神への感謝を表すために御衣祭が終わるまでは針や糸を使った仕事を控える地域も多い――などの共通性や特性にも注意を促した。
皇學館大学文学部准教授の松本丘氏は「熱田神宮と垂加神道―宝剣之伝・熱田之伝とその展開―」と題して課題を提示した。同氏は垂加神道の秘伝の一つ『宝剣之伝』について、草薙剣に絡んで「八岐大蛇」に発現した素戔鳴尊の「敬み」を読み取ろうとしたものとし、また『熱田之伝』の説明も加えて、秘伝は山崎闇斎によって原型が整えられたこと、門流が整理と体系化を図ったこと、垂加派の倫理的特色が示されていること、素戔鳴尊への景仰は熱田社尊崇と不離の関係にあったこと――などを推察した。さらに、こうした垂加派の説が逆に熱田社側へ影響を与えていることも考えられるとした。
このほか、熱田神宮宮掌の伊藤信吉氏、同神宮文化研究員の野村辰美氏、京都女子大学短期大学部教授の八木意知男氏、皇學館大学文学部教授の井後政晏氏が発表した。
記念講演を担当した阿部氏はまず、熱田本『日本書紀』などについて、「神に奉納することに多くの意義があった」とし、熱田宮へ奉納された「法華経」なども「奉げ、供養することによって出てくる価値というものがある」と話した。また、熱田宮に関する縁起類については、その構築への試みは早い段階からあり、密教僧の関与も考慮に入れるべきだとした。さらに、『朱鳥官符』(熱田本紀)などは託宣を官符とすることでテクスト自体が神格化・聖典化された、『熱田講式』など儀礼テクストは声の発動という意味で叙事を歌謡化することで心の通うものとなった――などとし、「中世の和歌や文芸の知恵が見事に中世の熱田の神のさまざまな表れとなっている」と説明した。
なお、開会に当たって熱田神宮権宮司の宮田理博氏が歓迎の挨拶をし、閉会では同学会会長で皇學館大学学長の伴五十嗣郎氏が「今開催で熱田神宮様の佳節に奉賛できると考え、お誘いを受けることにした。斯界発展のためにも本学会の役割は今後とも極めて大きいと確信している」と挨拶した。
沖縄の御嶽(うたき)の森の解明
生態学と民俗学の両見地から
信仰の様相にも迫る
琉球に数多くある聖地「御嶽(ウタキ)」の植物相を、生態学的そして民俗学的な見地から解析する試みを続けている。
御嶽の多くは森に囲まれている。「本土の『鎮守の森』とは違う雰囲気を感じる。森の中に人間が入り込んで一体になるという思想があると思う。神と人と森との関わりという見方はやはり魅力的です」
そもそも理系の出身。東京農大農学部林学科を卒業後、東京都の公立中学で理科教員を務めてきた。植物・樹木相の分析は、いわば当初からの専門領域である。
いっぽう、とくに御嶽では、樹木相が祭祀空間や祭祀儀礼の構造と密接につながっていることを直感し、民俗学的な側面を取り込む必要も感じてきた。定年退職後、沖縄国際大の大学院に入り直し、地域文化研究科南島文化専攻コースで研究を重ね、修了後も社叢調査に日々を送っている。
こんもりとした森に生命感を宿し、その森に残る禁忌や、人々の深い意志の力が働き続けてきた貴重な領域――それが森の御嶽であるという。
神役の被り物や祭祀用具を森から採取する行為にも聖なる意味が込められているとする。祭祀において人々が親しく集う雰囲気に、神木意識の有無は別にしても、樹木と信仰の結びつきが濃厚に見てとれる場合もあるらしい。
現地調査ではまた、史料に載る琉球各地の樹木名御嶽を整理し、フィールドワークも加えて「適地適木」ともいうべき地域毎の植生・樹種の違いや傾向を明らかにした。
さらには、それぞれの御嶽に入って、その空間構造や構成要素、そして植物相・樹木相を観察し、樹種の変化のあり方に、人々の意識的な干渉性も読み取った。
熊野と琉球の信仰の関係にも
若い頃から登山や森歩きが好きで、北から南へ各地の山を歩くなかで熊野にも出逢っている。休暇を利用しながら熊野古道はほぼ踏破した。「熊野は歩くという行為で浄化されるところ。そうしてやっと本宮を見たときに、『感動する』ということが分かる」
やがて南島にも足を伸ばす。「竹富島で御嶽に迷い込んだ。熊野と沖縄、補陀落渡海とニライカナイ。そして御嶽には森……。『これは琉球も調べねば』と思いました」
今後も御嶽に注目しつつ、さらにはヤマトと琉球、そして熊野との関係にも調査研究の視線を当てていきたいという。
『お神楽初恋巡演記』 著者:吉岡義三、発行人:吉岡一男(文)
民俗芸能を支えた青年たち
父の傘寿を祝って長男が出版
かつて岩手県の北のまち軽米に「松ノ脇神楽」という郷土芸能がありました。この本は、その神楽衆だった著者が、昭和22年と23年の冬に軽米町〜旧山形村そして旧大野村〜旧種市町を巡った時の思い出を綴ったものです。10年以上まえに地方紙「デーリー東北」に掲載され、多くの人から共感をよび、単行本化が待ち望まれていたのですが、この度、著者の傘寿(80歳)祝いと、民俗芸能を支えた青年たちへのオマージュの念を込めて、長男である私が出版しました。
著者が祖父に連れられて初めて神楽を見たのは、小学3年生の時。怖いような気がしたものの、あまりにも神楽が面白くて魅せられてしまい、いつかは演ずる側になると決意、高等科2年の時、「松ノ脇神楽」に弟子入りしたのが、お神楽人生の一歩を踏み出すきっかけでした。
太平洋戦争のため、一時中断を余儀なくされたものの、再び復活したお神楽巡演の旅。「松ノ脇神楽」が村の家々を回り、門前で笛や舞などを披露し悪霊退散を祈る門打ちの様子や神楽舞を見物に来た人々の反応などが、仔細に記されています。
村中の老若男女の熱烈な声援を受けながら、著者たちの演技には益々、磨きがかかり、巡演先での古式豊かな神楽宿や郷愁をさそう街々の風情、そして記憶を丁寧に辿った文章からは、当時の情景が追体験できて楽しくなります。
『初恋巡演記』には船の安全を祈願して舞い、漁師から魚をご馳走されたり、舞を披露して拍手喝さいを浴びたりして、神楽師として生きる喜びが描かれています。さらに宿探しに苦労した話や、巡業の合間に仲間とトランプに興じた話、郷土料理などの御振る舞い、女性たちとの雪合戦など、巡演以外の興味深い逸話が盛り込まれています。そして何よりも、神楽と巡演を歓迎してくれる人たちへの愛情が溢れていて読んでいると温かい気持ちになってきます。
神楽は踊る者も楽しみ、神様も楽しみ、見る人も楽しむものですが、神楽を内側から素直に書いた本は余り存在しません。神楽の歴史とか学術的に書いた本は数多くありますが、当事者が書いた本は今まで皆無でした。本書に対し「神楽師の日常」や当時の「風俗と暮らし」がよく分かると民俗学者から多くの感想が寄せられてきました。今回、神道フォーラム会報に記事を掲載していただいたことにより、本書『お神楽初恋巡演記』が皆様に一読され、失われつつある「日本人の心」と忘れがちな「家族の絆」づくりの一環になれば、まことに幸いです。
神楽童子(吉岡一男)拝
B5版116頁。
952円。
注文はツーワンライフ出版
(紫波郡矢巾町高田第八地割141、電話019‐698‐2333)。
著者:吉岡義三=昭和4年岩手県軽米町生まれ。15歳で神楽師を志す。永年に渡り、月山神社と八坂神社の氏子を巡演する。「沢田神楽の歴史」と「軽米むかし話」を語れる数少ない人物。
発行人・吉岡一男=昭和30年岩手県軽米町生まれ。古民家再生プランナーであり、神楽大宿巡りをライフワークとする建築家。
バンガロール通信C 吉岡信子
チェンナイ・マハバリプラム
前回のレポートもタミルナドゥ州でした。前回は、タミルナドゥ州の南の端(インドの南端)でしたが、今回は北部のチェンナイとその付近のレポートです。
チェンナイは、現在では日系企業も多く進出している都市ですが、古くからマドラスと呼ばれる港町として、海外との貿易が盛んでした。
今回、私がチェンナイ行きを決行したのは、2009年のクリスマス。何故なら、「チェンナイは暑い」と、多くの人から聞いていたからです。多宗教国家であるインドは、それぞれの宗教を尊重します。そういった理由から、インドにある大手の会社では、ヒンズー教、イスラム教にとどまらず、キリスト教の祭日もお休みになります。カレンダーを見ると、12月25日は金曜日!土日を引っ掛けて三連休!!旅行しない手はありません。私は飛行機とホテルを予約し、旅の準備を整えたのでした。
チェンナイ着。暑い。わざわざ冬至直後の時期を選んだのに、暑い。チェンナイ、年中、暑いところのようです。とりあえず、クリスマス気分を味わおうと、チェンナイの街にある教会を巡ることに。チェンナイは港町として古くから海外との交流があったので、キリスト教会がたくさんあるのです。
キリスト教会に着いて、びっくり。私の知っているキリスト教会とは何かが違うからです。まず、教会内に入る前に、靴を脱いで裸足にならなければなりません。建物内に入ると、確かにヨーロッパの教会と同じ造り。しかし、この日はクリスマス。イエス・キリストの誕生を祝う日だったので、籠に横たわる赤ちゃんキリストの像が特別に出ていました。そして、参拝客たちは、恭しく赤ちゃんキリスト像の足を触り、拝んでいるのです。不浄とされている足を手で触るのは、最大の敬意の表意。これは、神像相手や、お嫁さんが夫の両親に取る行動です。ふと、隣に安置されているキリスト教聖者の像を見やると、そこにはうつむきに身体を投げ出して祈っているインド人信者の姿が。信仰の対象がキリストであっても、礼拝の仕方がインド風なのが、私の中で大きな発見でした。写真を撮りたかったのですが、真摯に礼拝を捧げている人に失礼かと思い、遠慮させていただきました。日本の方々に、ぜひお見せしたい場面だったのですけど。
他にチェンナイで特にご報告したいことは、チェンナイ州立博物館についてです。広い敷地内にいくつもの建物が並び、種類別にそれぞれ展示されています。考古学、人類学、動植物、地学、彫刻。のみならず、同じ敷地内に、国立美術館、現代美術館、子供博物館もあります。展示物の質は非常に高いので、見学をお勧めしたい場所です。しかし、価値ある文化財が盗難防止のためにコンクリートで固めて固定されています。この盗難防止法は、これでいいのでしょうか。タミルナドゥ州の財政では、これしか方法がないのだと思います。でも、文化財は人類全体のもの。タミルナドゥ州だけに負担を負わせず、世界中の人々で守れないものかと思いました。あと、子供博物館でも、切ない思いをしました。子供博物館には、世界の国々の紹介コーナーが設けられています。もちろん日本のコーナーもあります。まず、日本のコーナーが他の国のコーナーの二倍のスペースであったのは嬉しかったのですが、展示物は色あせた折り紙作品や、「日本みやげ」としてお土産物屋さんや空港で売られている、紙製の着物姿の少女人形などでした。この展示物について、チェンナイという日本とも経済的に関係の深い土地の子供たちに、何か協力できないものかと思いました。それは、チェンナイにとどまらず、私の住むバンガロールの博物館でも同じです。インド中の博物館で、日本文化を紹介する余地は、大いにありそうです。
この度の旅行は、マハリプラムとカンチプラムまで足を伸ばしました。どちらも語りだしたら止まらなくなってしまうほど、遺跡の多い地域です。今日はその中で、石窟寺院など多くの石造建築物が世界遺産となっているマハパリブラムの「クリシュナのバターボール」をご紹介します。
「バターボール」とは、トーストについてくる、球形だったりフットボール型だったりするバターの塊のこと。この岩の形が、バターボールをバターナイフで切ったような形をしていることから、こう呼ばれています。しかし、これは柔らかいバターボールでなければ、大きさも半端ではありません。そこから、クリシュナという神様が刀で切ったに違いない、ということでクリシュナの名前が冠に。
この岩は、一見不安定そうに見えます。実際、どうしてこれがこのままの姿で立っているのか不明なのです。その昔、王様が八頭の象を使ってこの岩を動かそうとしましたが、ぴくともしなかったとのこと。私もその秘密をさぐるべく、岩の付け根の部分の写真を撮ってみましたが、何もわからずじまい。
南インドには、こうした自然に大きな石がたくさんあり、その中にはこういった不思議なものも存在し、風景の一部となっています。
神社を探して銀座を歩く
「銀座七福神めぐり」参加記 神道勉強会葦の会
5月16日(日曜日)、東京の神道勉強会葦の会の有志8名は、銀座の七福神プロデュースが実施した「銀座七福神めぐり」に参加した。
集合地点の銀座松屋わきには、すでにかなり多くの参加者が集まっていて、三々五々、地図とシールの台紙をもらって出発していく。世界的に名高い銀座だけあって外国人グループの姿もある。それではと、われわれもまけずに出発。
「七福神めぐり」と銘打ってはいるが、実際に七福神をまつる神社があるわけではなく、銀座のビルの屋上や谷間にある神社を見立てている。実際には、不動尊が一ヶ所、それ以外の6ヶ所は商業地の銀座らしく、商売繁盛を祈る稲荷神社で、神仏混淆だ。江戸名物の一つといわれたほど数多い稲荷神社だが、開発が進むにつれて、いまや狭い路地裏やビルの屋上においやられ、知る人ぞ知る、といった風情になっている。
銀座などたまにしか歩かない葦の会のメンバーは、有名ストアが立ち並ぶ華やかなメインストリートの人ごみの中をうろうろキョロキョロと神社探し。うす暗い路地の奥、大デパートの屋上など、思いもかけぬところに鳥居が立っていてびっくり。それも昨日今日に建立された社ではなく、それぞれに由緒があるのだ。商売の繁栄を祈って、毎日のように参拝にくる地元の人たちの中には、けっこう若い人たちもいるという。
こっちかなと路地を覗き込みながら鳥居を見つけるのは宝探しに似た楽しさだ。どの神社の前にも黄色いハッピ姿を着た主催者側の人たちが待機していて大歓迎。スタンプならぬシールをくれるので、シールラリーだ。一時間半ほどで7ヶ所全部をまわり、最後にお菓子と記念品をもらって、こんなにたくさん一度にお稲荷さんを回ったのは初めて、と8人の大人たちは満足げ。
この七福神めぐりは、7月18日(日)にも実施される。参加無料。問合せは、七福神プロデュース(03-5565-7530)へ。
『カラー版・東京の宮神輿――春夏編』
戎光祥出版編集部 編
首都・東京の祭りには勇壮な神輿の渡御する「神幸祭」を伴うものが多い。本書はその神輿と神輿渡御の生き生きとした姿・様子を、祭礼の執行される月別、神社毎にカラー写真満載で紹介する。
神輿を担ぐ人々の喜びに満ち溢れた表情が魅力的。宮神輿の細部に施された伝統工芸、各社氏子の纏う半纏、山車や太鼓、子供神輿などにもスポットを当てている。島嶼地域の神幸を紹介しているのも貴重。江戸東京における神輿と祭り、神輿を担ぐときの掛け声、関係する用語などについての解説があり、さらには各神社の紹介と地図も付いていて、祭り見学にも便利だ。
天皇陛下御即位二十年奉祝記念出版。東京都神社庁が協力。今回の春夏編に続いて秋編も刊行される。
A5判、224頁、2940円。戎光祥出版=03(5275)3361。