今年で私どもは戦後65年を迎えることになりました。世相の混迷を憂いつつ、なにかと来し方を振り返って内外の行く末をじっくりと見据えることも必要ではないか、と思うことしきりの今日この頃です。
少年期に国の敗戦に直面した小生も、その後のめまぐるしい社会変化に翻弄されながら、ささやかな模索の時代を過ごして既に老境を迎えた今、依然としてたくさんの仕残している課題のなかに、われらが日本の宗教文化とりわけ神社と神道の、今後の時代にふさわしい健全なありかたを内外に問い続けるということがあります。
とりわけ現代の急激な文化の国際化と厳しい物質文明のグローバル化の荒波に揉まれつつあるなかで民族の精神的自負を見失っている今日の時代状況をみるにつけ、今更ながら古来の先人達が培ってきた民族の知恵を、冷静な歴史的批判と国際的視野のもとに洗い上げ、掘り起こして、その成果を内外の世人に訴えることも肝要ではないか。
神道国際学会は、そうした目途のもとに発足して昨年は早くも15年度を迎え、去る10月17日には記念シンポジウム「神道の立場から世界の環境を問う」を開催し、また来年2月27日(日)には第15回セミナー「外国人学者の眼に映ったカミ・ホトケ」を予定するなど、海外の有力な大学や研究者との緊密な研究交流を重ねる傍ら、広く内外一般に啓蒙活動をも展開していることは本紙読者各位にもお認めいただけるものと存じます。
そこで読者の皆さんに、あらためてお願いがあります。
本学会が今後とも一層活発な活動を進めるために、どうか応分のご協力を賜わりたく、できますれば個人あるいは団体の会員に加入していただきたくお願い申し上げます。
また、あるいはご関係の同憂同志の向きにもお誘いを賜われば、この上なく幸甚に存じ上げます。公私ご多端の折り、まことに恐縮ながらご一考賜わりますよう重ねてお願い申し上げます。
去る7月3日から一週間、15年ぶりにハワイを訪れた。神道国際学会がかねてから企画し、来年6月に開催を予定している国際学会「海外に広がる日本の宗教―際物か、定着か」(Japanese Religions Overseas ・ephemeral or longlived)の会場の下見、関係者との相談のためだ。
おりしもの円高で日本人観光客がひしめくホノルルで、神道国際学会副会長を務めるアラン・グラパール教授と合流。久しぶりと固い握手を交わした。カリフォルニア大学サンタバーバラ校(UCSB)の神道学講座で長く教鞭をとっていたグラパール教授は、現在ビッグアイランドと呼ばれるハワイ島に在住している。以前ハワイ大学東西センターで3年間の研究を続けていた経験から、この学会が企画されるとすぐに、東西センターを会場として推薦、連絡役をかってでてくれたのだ。
グラパール教授の運転で、七色のシャワー・ツリーの花が咲くハワイ大学キャンパスにつくと、さっそく東西センター移民国際会議場担当のマーシャル・キングスベリ氏に会い、候補会場の下見と打合せ。おおよその線で合意をして、今後も緊密な連絡をとりあうことを約して分かれた。
日本からの一般参加者もみこして、学会は日本語と英語の二本立てにすること、これから発表者の公募をすることなどをグラパール教授と細かく相談した。もちろん、これからきめていかなければならない事柄が多いのだが、なかなか好調な滑り出しだ。
ご存知の方も多いと思うが、移民の歴史を持つハワイには、実にさまざまな宗教が混在している。すなわち、移ってきたのは「民」だけではなく、それぞれの民の「宗教」も移ってきたわけだ。日本からも新旧さまざまな宗教が、生き生きとあるいはひっそりと住み着いている。神社も例にもれない。ハワイの神社の歴史をここでひもとくスペースが無いのは残念だが、来年の学会の時には、少なくともホノルルのあるオアフ島に鎮座する四神社を巡拝させていただこうと、各神社をまわって説明をしたところ、どこでも協力を約束してくれた。それに、原住民が今も崇める聖地ヘイアウもまわってみたい。
興味深い学会になると思うので、ハワイには何度も行ったという方も満足してもらえる旅程を組み、ぜひ多くの方に参加を呼びかけたい。興味のあるかたは、本会事務局にお問い合わせいただきたい。
ちょうど今号の『神道フォーラム』が読者のお手元に達するのは「敬老の日」の頃であろう。戦前の『祝祭日』に代わって1947年に施行された『国民の祝日に関する法律』に基づいて、1966年に「敬老の日」が祝日に加わった。同法によると、「敬老の日」の意義は「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことである。この日を中心に、町内会や老人施設や寺社等において各種の「敬老」行事が行われ、特に「100歳以上の高齢者」に対しては、市町村等の自治体から「祝い金」や「記念品」が授与されるところも多い。因みに、日本全国で百歳以上の高齢者が4万人以上いるそうである。
ところが、この夏、東京都板橋区の「生きていれば111歳になる男性」のミイラ化事件をきっかけに、100歳以上の高齢者が全国で相当数「所在不明」となっていることが明らかになった。阪神淡路大震災があったとはいえ人口153万人の神戸市だけでも、所在不明になっている100歳以上の高齢者100名以上もあったり、住民基本台帳上では「125歳」や「127歳」という常識では考えれないギネスブックものの超高齢者が各地にゴロゴロいる計算である。人口266万人のわが大阪市には、全国のホームレスの三分の一に当たる約6600人が暮らし、わずか800メートル四方の「釜ヶ崎(行政上の呼称は「あいりん地区」)」エリアだけでも、年間に300人以上が路上で野垂れ死にしているぐらいであるから、100歳以上の高齢所在不明者数を正確に把握することすら難しいであろう。行政関係者は責任を負いたくないから誰も言い出さないが、この「所在不明者」の年齢制限を、100歳以上から90歳以上とか80歳以上に緩和すれば、それこそ何万人単位の「所在不明者」が出るであろう。
このような問題が起こる原因は、マスコミや専門家がしたり顔で説明するように、「自治体のタテ割り行政の弊害」(住民基本台帳を管理する戸籍課と高齢者のケアを担当する福祉課間の相互連絡の不備)であったり、遺族が亡くなった高齢者の年金を詐取し続けるために「生きていることにしておく」といった心賤しい行為であったりだけであろうか? もっと根深いところに原因があると思う。ある統計によると、独居世帯の住人(ほとんどが高齢者)の内、37%の人が「正月三が日を一人で過ごした」そうであり、27%が「病気・怪我等の緊急時に誰も来てくれない」そうである。これらの人にもし何か起こったら「孤独死」する可能性はかなり高いであろう。また、満50歳の時点で一度も結婚したことのない男性の割合は、2005年の時点でも16%、2030年には29%になると推定されている。50歳の日本人男性の平均余命は約30年(=現在50歳の人の半数が80歳まで生きられるという意味)だから、これらの男性の半数が30年後には孤独死をする蓋然性が極めて高いと考えざるを得ない。とんでもない人数になる。
まさに「無縁社会」の恐怖である。それにもかかわらず、個々人は「気ままな生活」を主張し、行政は「個人情報の保護」を隠れ蓑に、その社会的責務を果たそうとはしない。伝統的な日本社会においては、「共通の先祖祭祀」を中心に据えた「家」という集団が独居老人を作らないようにし、「氏神・氏子」関係を基に「共同体の祭祀」が行われ、不幸にして独居老人が発生してしまった場合でも、地域共同体がそのお世話をしてきた。主として、前者は仏教によって担われ、後者は神道によって担われてきた。生物学的な比喩を用いれば、前者は遺伝子的な条件であり、後者は環境的な条件であるとも言える。その両者間の微妙なバランスが保たれて、日本人社会が今日まで続いてきたのである。ただし、これらの伝統的な価値観は、現在ほぼ破壊されたと言っても過言ではない。かろうじて残っている家系や地域もないことはないが、歳月はドンドン経過してゆくので、それとて「絶滅危惧種」の運命にあると言えよう。
2000年から「ハッピーマンデー制度」と称して、いくつかの国民の祝日が、それぞれの制定の由来をまったく無視して、単に「土・日・月の三連休」にするために移動祝日となった。しかし、よくよく考えてみれば判ることであるが、「敬老の日」を祝って貰う高齢者のほとんどは、すでにリタイヤした人々であるから、はじめから「毎日が日曜日」みたいなものである。なのに、「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」べき現役$「代の子どもや孫たちが遊びに行くことを優先した「土・日・月の三連休」への祝日変更は、高齢者に対する許し難い暴挙である。おまけに、「敬老の日」が「9月の第3月曜」になって「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」ための祝日である「秋分の日」と限りなく近づいてしまった。ひょっとして「高齢者はご先祖様に近い(もうすぐお迎えが来る)から」というようなとんでない理由ではないと思うが…。事実、昨年(2009年)なんかは、お彼岸の期間中の9月21日に「敬老の日」が移動してきたので、仏教寺院なんかでは、恒例の敬老行事のできなかったところも多々ある。伝統とは、不断に努力しないと守れないものであることを指摘しておきたい。
本年2月28日に、鹿島神宮が後援、鹿島新當流協賛で、本会が開催した第14回神道セミナー「神道と武士道」のDVDが、このたび刊行され、本会会員には無料配布された。
このセミナーでは、まず鹿島神宮を正式参拝後、鹿島新當流第六十五代宗家の吉川常隆氏による講話「剣聖塚原卜伝顕彰と奉納演武」、鹿島新當流の方々による演武の奉納がおこなわれた。
続いて、場所を神宮の前にある新仲家三階ホールに移してセミナーを開始。基調講演は、東京大学大学院教授・菅野覚明氏による「武士道・自然・神道」。パネル・セッションは、ジョン・ブリーン国際日本文化研究センター准教授をモデレーターに、アレキサンダー・ベネット関西大学准教授、ムケンゲシャイ・マタタ・オリエンス宗教研究所所長、それに菅野覚明氏が参加した。質疑応答の後は、岩澤知子・麗澤大学准教授が総合コメント。総合司会は梅田善美・神道国際学会理事長がつとめた。
本セミナーは、スカイパーフェクトTVで流されたが、それがDVDに収められ、報告書が添えられている。
恒例の大祓行事を斎行
6月30日、NYセンターにおける恒例の大祓神事が斎行された。参列者はおよそ20名。
日本では社頭におかれた茅の輪を、神主を先頭にした人々がくぐって、知らず知らずのうちに犯した罪や穢れを祓う光景が津々浦々の神社でみられる。米国では茅の輪は無理だが、NYセンターでは毎年6月30日と12月31日には、かならず大祓神事を斎行している。
当日は式に先立ち、中西オフィサーの英語によるレクチャー「大祓と自然信仰」が行なわれた。まずDVD「日本は森の国」の一話「神の木・神の森」を見ながら、日本人の持つ自然観や鎮守の森の意義や木に関わる代表的な祭祀である諏訪大社の御柱祭、そして大祓神事における自然信仰との関わりなどを説明すると、参加者からは毎回死者すら発生する御柱祭に人々はなぜ参加するのかなど、レクチャーを遮るほど質問が集中し、説明に聞き入っていた。
レクチャーの後には、大祓式が執り行われ、参拝者が人形でそれぞれの罪穢れを祓ったあと、人形を神前に供えて、お祓いした。
半年毎の恒例神事ということもあり、欠かさず参列されている参加者たちは、流暢に大祓詞を奏上していた。
ストリート・フェスティバルで神道を紹介
7月17日、ニューヨーク市で日本の文化を紹介するジャパンタウン-ストリート・フェスティバルが開かれ、ISFでも神道を紹介するブースを出展した。
マンハッタンでは毎年夏の週末には道路の一部を歩行者天国にして、飲食店や雑貨などの露店が立ち並ぶが、今回のストリートフェスティバルは日本の文化を紹介しようとする試みで、ISFも依頼をうけ、日本の伝統文化としての神道を紹介する出展を行なう事にしたもの。
ニューヨークは、このところ連日の猛暑で、フェスティバル当日も非常な暑さであったが、ワシントンでのさくら祭り同様、ブース内に神前を設けたところ、多くの人が足をとめた。鈴を鳴らしてお参りする人、おみくじに一喜一憂する人、ブースの脇に立てられた竹に短冊に願いを込めながら結びつける人などさまざまだ。
中西オフィサーは「地元の会員の方も多数立ち寄られ、温かい激励を受けた。神道を知ってもらうために、今後もこうした地道な活動を続けていきたい」と語っていた。
千羽鶴で世界平和を
7月21日、ハドソン・コミュニティ・カレッジで教鞭をとるリサ・ベラン-ボイヤーさんを講師に招き、英語による特別神道入門講座「折り紙と神道」を開催した。
全米折り紙協会会員として活動するベラン-ボイヤーさんが、折り紙を通じて日本文化とその根底にある神道を知りたいと、ISFを訪ねて来られたのがきっかけとなり、今回のレクチャーの運びとなったもの。
今回は中西オフィサーがモデレーターをつとめ、まず神道における紙の重要性を説明した後、ベラン-ボイヤーさんを紹介。参加者と膝を交えて話しをすすめるざっくばらんな雰囲気の中で行なわれた。
日本の年中行事・人生儀礼を色とりどりの折り紙のデザインで表現しながらレクチャーを進めたベラン-ボイヤーさんは、感嘆しながら折り紙や日本の行事について質問する参加者に対し、気さくに答えていた。
最後は広島で被爆し、闘病生活を送りながら、平和を祈りつつ千羽鶴を折り、若くして死んでいった佐々木禎子さんの平和の思いが紹介され、参加者たちも平和への祈りを込めてベラン-ボイヤーさんに教わりながら千羽鶴を一生懸命折っていた。
よさこい開幕に安全祈願祭
地元の若手神職が奉仕(高知市)
高知市の夏が一気に燃える第57回よさこい祭りが8月8日から12日まで開かれた。市内各所で、全国から集まった多くのよさこい愛好グループが踊りの練習の成果を披露。審査もあり、各賞受賞が決まった。
初日夕、市街中心部にある中央公園で行なわれた祈願祭では、今年のよさこいの安全を祈る神事があり、開幕を告げた。この神事は例年、高知県内の若手神職が奉仕して斎行される。特設ステージに神籬が設けられ、修祓、降神、献饌の儀に続き、よさこいの円成を願う祝詞が読まれ、引き続いて参列した大会会長はじめ同県知事、同市長、県・市議会議長、地元新聞・テレビ局社長、商工会議所会頭、市民代表と踊り子代表など、高知の要職らがこぞって玉串を奉げ、祭りの無事を願った。
廻廊に涼をとる風鈴が
吉備津神社(岡山市)
備中国一宮で三備総鎮守でもある岡山市の吉備津神社では、2年ほど前に御屋根葺替が完了。国宝に指定される独特な「比翼入母屋造」の本殿・拝殿が優美勇壮な姿を見せ、参拝者を魅了している。
厳しい暑さのなか、地形に沿って長くしなやかに延びる廻廊には延々と風鈴が吊るされた。境内に吹く微かな風に鳴るさまざまな音色の鈴が涼を呼ぶ。
「おほぞらにそびえて見ゆるたかねにも登ればのぼる道はありけり」
ゆるやかな野山と田園の広がる吉備路は、極暑のなかでも変わらぬ穏やかな里の風景だ。
著名漫画家を輩出するまんが王国%y佐に―
まんが神社(高知県中土佐町大野見)
高知市で第19回高校漫画選手権(まんが甲子園)市民の審査投票も
猛暑に列島中が翻弄された今年の夏。暑気に音を上げる大人らを尻目に、甲子園では高校球児が例年に変わらぬ熱戦を繰り広げた。
高校生が青春をかけるのは野球のみならず。文化部の生徒もそれぞれの活動に情熱を傾け、大会での成果披露に夢をはせる。地区予選を突破した学校は本戦に乗り込み、頂点を目指す。
青春の代名詞ともいうべき甲子園≠冠した大会は意外と多い。曰く、俳句甲子園、ディベート甲子園、写真甲子園、テレビドラマにもなった書道甲子園……。夏休みに照準を合わせ大会が組まれることもしばしば。若き熱情を注ぐ舞台装置には、長いようで短い一瞬の夏≠ェ似つかわしいようだ。
8月7,8日には第19回まんが甲子園(全国高等学校漫画選手権大会)が高知市で開かれた。主催は高知県ほか。多くの漫画家を輩出した同県はまんが王国≠ニもいわれる。南国土佐での「まんが甲子園」は、高校ペン児にとっては憧れの祭典という。今年は全国280校から応募があり、予選審査で選ばれた30校が出場した。
市文化プラザで競技がスタート。同県出身で、『アンパンマン』などで知られる審査委員長・やなせたかしさんが一次テーマを「正義の味方」と発表し、各校は作画に取り組んだ。一次競技で勝ち上がるのは半数。敗れた15校はテーマ「おかえりなさい」の敗者復活戦に臨む。市街中心部の商店街に作品が掲示され、買い物客らが投票を行ない、復活5校が決まる。再び文化プラザ。新たなテーマで20校による決勝戦が行なわれ、最優秀賞の栄冠は、8回目出場の愛知県立豊明高校に輝いた。
-- まんが甲子園の必勝祈願に高校ペン児も参拝
鎮座十余年……神域に地元民の維持努力の気配ただよって
願いをもった人たちはそれぞれの願いに合った神社に行く―。まんが道を究めようとする人たちがめざすのは、まんが王国″rm県にある「まんが神社」だ。高岡郡中土佐町大野見。四万十の清流に沿った往来もまばらな山あいの県道から、さらに小道を入った田園の一角に、ひっそりと建っている。
原姿そのままの丸太を組んだ鳥居をくぐると、二間四方ほどの小さな社殿がある。夏場は草むらに囲まれ、人の姿すら見当たらず、聞こえるのは周りの山林から降る蝉の声のみだ。それでもマニアには知られた神社のようで、まんが甲子園が近づくと、全国から高校生らが必勝祈願に訪れるらしい。
庇を支える柱に「平成10年7月7日」と御鎮座日がみえる。まんが甲子園の審査員を長く務め、新聞の政治漫画なども描く牧野圭一さんが発端となり、地元有志が意を尽くしてできたものという。
ゴツゴツのユニークな形をした木コブの御神体が注連縄に結界されて座す。「諸事満願」とある恵比寿さんの絵馬や、多くの奉納絵画が掛かっている。
まんが甲子園開催の真っ只中、参拝した日は蒸し暑かった。天然自然の草いきれに、放っておけば瞬く間に荒れ果てそうな雰囲気。だが、思いがけず、神域も社殿もこざっぱりとしている。
目立たずとも淡々と、お宮を守り伝える人たちの息づかいが感じられて、すがすがしい気持ちになった。
神平安の七夕
「乞巧奠」飾りを再現
東京の大宮八幡宮
7月の七夕に合わせ、東京都杉並区の大宮八幡宮で今年も、平安の七夕飾り「乞巧奠(きっこうでん)」が再現、披露された。
7月1日から15日まで、同宮の清涼殿ロビーに、短冊のルーツともいわれる梶の葉や五色の紙垂(しで)、詩歌・管弦・裁縫の上達を祈る筆硯・雅楽器・糸、果物・野菜などが供え飾られた。一方、神門の前には、梶の葉や五色布を垂らした「乞巧潜り」も設えられ、参拝者はこれを潜って技芸上達を祈った。
期間中にはまた、願い事を託した短冊を結ぶための竹笹も立てられ、雅楽の夕べや技芸上達祈願祭(七夕の神遊び)なども斎行された。
同宮の「乞巧奠」飾りの再現は、雅の伝統を広く知ってもらおうとの鎌田紀彦宮司の発案で始まったもので、12回目。今年は御祭神・応神天皇千七百年祭の年にも当たるため、「式年祭記念」を冠した。
七夕に道具持参で
お祓いと上達祈願 埼玉・日高の高麗神社
埼玉県日高市の高麗神社でも7月1日から7日まで、技芸や習い事の上達を短冊に記して祈願する「七夕昇殿祈願」があり、多くの人々が訪れた。同神社の七夕祈願では、参拝者が日頃から使用している道具などを持参し、本殿にあげてお祓いしてもらい神徳を受ける。祈願の後には七夕御幣と五色の祓い串も授与された。
「龍馬伝」で例年以上の注目
高知市内の神社
大河ドラマ「龍馬伝」の影響もあって今年は高知県に多くの観光客がつめかけている。坂本龍馬ゆかりのスポットや、博物館の龍馬に因んだ企画展も連日の賑わいだ。
龍馬も一時加盟した土佐勤王党。その首領・武市瑞山(通称・半平太)を祀る瑞山神社も普段以上に注目を浴びている。高知市郊外の田園地帯だが、神社に接する武市半平太墓所(国指定史跡)や同資料館、近くの旧宅(国指定史跡)などもセットに、遠方からの人々が、ドラマチックに描かれた半平太のおもかげを求めて、車を止めて参拝する姿が見られる。
高知県護国神社。幕末の藩論や情勢の変転で罪人処遇された瑞山や龍馬などの勤王志士が明治になって祀られた。境内には、これら志士の名誉を回復し、功績を顕彰すべしとの「南海忠烈碑」も残っており、碑文に近づいて興味深く見入る人も増加傾向という。
悠久の社史を如実に示す宝物の数々
日本三名鏡の「海獣葡萄鏡」、剣術・香取神道流に伝わる諸品…
国土開発の神、経津主大神を奉祀する大社。長い歴史を有するがゆえの貴重な宝物を多数所蔵する。皇室・国家からの尊崇を示すものとして、明治天皇御奉納の太刀、亀山上皇による御勅額、源頼朝公の神田寄進状などが挙げられる。
歴史の重みを髣髴とさせるのが国宝・海獣葡萄鏡だ。精巧な白銅製のもので、裏面には海獣異禽をめぐって葡萄唐草文がほどこされる。中国唐代の作品。奈良・正倉院のもの、愛媛県・大山祇神社のものと並んで、日本三名鏡の一つとされる。
御祭神のために調進された銅製供器、團碁祭の祭器、櫛など、価値の高い神器も多い。また鎌倉時代の古面(獅子口面・大 見面・姥面、県文化財)など芸能に関わる史料にも悠久の時の流れを感じる。
日本神話を題材とした画作でも知られるフランス人画家、マーク・エステル氏が御鎮座2650年(平成20年)記念に奉納した「豊葦原中国平定のために差し遣わされた経津主神と武甕槌神」を描いた作品も壮大だ。
香取は剣術の本場でもある。香取神道流における剣や木刀なども展示される。また、海上自衛隊の練習艦「かとり」の遠洋航海記念に奉納された異国の品々も目を惹く。
▽9時から16時まで
▽大人300円、小人100円
▽千葉県香取市香取1697(香取神宮境内)
▽電話0478(57)3211〈社務所〉
宗教者とマスコミ関係者の集う
勉強会「森の会」を主宰
昨年7月、新宗教新聞を定年退職した。35年にわたる記者生活で体験し、そして出会った、心に残る場面や先達の思い出を「仏教タイムス」紙面に綴った。春から夏にかけて連載されたこのコラム「薫風」が好評だった。多くの知己の後押しを受けて今、フリーの立場からジャーナリスト活動を再開している。
そのひとつが宗際的・人際的な友人知人を巻き込んだ自主勉強会だ。原則、毎月第三木曜日に開くことから「森の会」という。
「新宗教と伝統宗教。宗教とメディア。それらの垣根を越えた会です。メディアサイドは宗教に対して未だに無知。一方、宗教側は自分たちの活動を第三者に打ち出すのが、あいわらず下手」と言い、宗教と社会の間への風通しをもくろむ。
宗教法人の公益性、政治と宗教、現代人の宗教感覚などをテーマに講師を招き、宗教者やマスコミなどが顔を突き合わせている。近く、公益法人制度の改革問題なども話し合う予定だ。
ネット「ザ・ジャーナル」で「廣橋隆の宗教ウワッチング」というコーナーも担当中。ねらいはやはり同様で、「ひとまずは宗教界と社会全般との交流へと発展できたら」と考えている。
祈りの文化≠ェこもる
沖縄・久高島を撮る「久高オデッセイ」
東京上映への支援も目指す
人脈の広がりから出てきた動きの一つが、長編記録映画「久高オデッセイ」を東京で上映しようという計画。友人の友人、大重潤一郎監督の三部作の制作が進行中だ。
伝統文化の荒廃と、現代化が急速に押し寄せる神の島♂ォ縄・久高島に、かろうじて地下水脈のごとく残る祭祀や風土。その再生に魂を尽くす島人の姿を、約10年かけて日常生活者の目で捉えた映像である。
「人が自然とともに生き、そして、その中には祈りがある。これは人間としての原点であり、日本の祈りの文化なんですね。琉球においてギリギリ伝わっているものを命をかけて撮っているわけで、これは側面から応援せねばと…」
上映に向けての具体的なことは模索中だが、こちらも宗際・人際的に広く呼びかけながら推進しようと構想を膨らましているところだ。
セミナー「永遠の杜を目ざして」参加記
都心に広がる広大なみどり
明治神宮造林にまつわるあれこれ
若者なら一度は行ってみたい観光スポット原宿。JRの駅を降りれば、街角はマンガチックな派手な衣装を競う少女がいっぱい。外国語の飛び交う会話を聞けば、国際色もなかなか。だが、雑踏だけが原宿ではありません。好一対が、すぐそばに鎮座する明治神宮。年賀参拝者数は毎年不動の日本一。二番ではだめなんです。
その神宮で、4月から毎月一回、創建90周年を記念して5回の連続講座が開かれている。6月は3回目で、27日に、神宮の森誕生の「造林」奥義の講話「永遠の杜をめざして―本田静六・本郷高徳・上原敬二」が開催され、私も参加した。講師は、進士五十八氏(前東京農業大学長・日本学術会議会員)と、濱野周泰氏(東京農業大学教授)。
セミナーでは、明治の代々木練兵場跡だった造林前の写真が披露された。立ち枯れた木が散在する起伏のある山肌が露出している。その荒れ地が造成され、全国から279種、10万本、10万人を超える若者の勤労奉仕で造林された。単純な植樹作業ではない。造林は、学問分野の一つドイツ「造林学」の思想を継承する形で、その泰斗本多静六の企画・指導で実施された。献木された木々の根にはその原生地の生物・土がついていて、分解・還元の生命の相互依存と多様性が保たれる。また樹種と樹高を交互に適正に配置して、森の成長バランスと景観・自然環境を維持するというドイツ人的な体系的な発想で造林された。本多静六の著「造林学」は、現在も大学で使われる教科書だそうだ。
予め、全国八十八の神社の樹種も調査され、神社の神秘性が追求された。それから90年、人工の森は、あたかも原生林のような佇まいで、老若男女、外国人の訪問の絶えるときのない、神秘と精神の原宿となっている。
この日、来場されていた本多静六のお孫さんが請われて感謝のご挨拶をされた。ただのお子さんではありません。ノーベル化学賞候補にもなったという東大教授の本多先生だ。人材育成も多様性と持続性、というわけだ。 (東京・門山榮作)
65年めの8月15日
i國神社参拝記
雑誌「新潮 」8月号に昭和天皇の「玉音放送」のCDがついていた。さっそく聞いてみたが、かの有名な「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び」以外は初耳の難しい文章で、全文が書かれていなければとても理解できなかっただろう。それに刺激されたわけではないが、戦後65年たった8月15日に、i國神社参拝を思い立った。
i國神社には顔も見たことのない義兄が祀られている。終戦後に中国で戦病死したそうだ。そのため、この日に参拝するのは初めてではないが、今年は65年めなので、何か変わったことがあるかもしれないという期待もあった。
猛暑のなか、街宣車の列を避けて神社に向かうと、参道に入る前からさまざまな会がチラシをくばっていた。その横で、アイスキャンデーが飛ぶように売れている。人波に交じって大鳥居をくぐった。
結論からいえば、別に目や耳をそばだてるようなことはおこらなかった。兵隊姿で行進する人たちも、「海行かば」を合唱する姿も、別にこの日に限ったことではない。正午近くになると、日本武道館で開かれている全国戦没者追悼式の声だけが中継され、菅首相の挨拶、正午の一分間の黙祷、天皇陛下のお言葉が流された。
今年は50名ほどの国会議員が参拝したそうだが、閣僚はだれも来ず、小泉政権のときとは神社内の雰囲気もずいぶん違っていた。
ただ、私の感想としては、若い人たちの姿がかなり目立ったように思う。親と一緒とか団体などではなく、個人的に参拝している人たちだ。最近の歴史ブームの影響かもしれないが、過日の広島平和記念式典にアメリカのルース大使が参列したことといい、少しずつだが、変化しているのかもしれない。できればよい方向に変わってほしいものだ。(埼玉・AU)
行ってきましたパワー・スポット
箱根芦の湖畔・九頭竜神社
最近話題のパワースポットの一つに、箱根の九頭竜神社がある。箱根神社の末社で、箱根神社境内にも九頭龍神社の新宮がある。そこに参拝するのもいいが、やはり芦ノ湖畔の本宮までいかなければネ、との友人の忠告にしたがい、猛暑をものとせず、参拝することを決意した。由緒書によれば、その昔、人々に害を与えていた毒龍に、萬巻上人が調伏の祈祷を行ったところ、毒龍は龍神と変わり、今では多くの人々に「金運・開運」「縁結び」の神様として崇められているとのこと、これはどうしても行かずばなるまい。
元箱根では、正月恒例行事・箱根駅伝のテレビ中継で見た大鳥居を発見。感激だ。まず箱根神社と九頭竜神社新宮に参拝して元気をいただく。九頭竜神社新宮の前には「竜神水」をいただく人の列ができている。車で来ている人もいるようだ。汲みたかったけれどこれから先のことを考えて、横目で通り過ぎる。
箱根神社前でおりよく通りかかったタクシーで、「九頭竜神社に行きたい」と頼むと、駒ケ岳ロープーウェイの駅近くまで行ってくれた。ここから徒歩で2、30分とのこと。
「箱根の山は〜」と元気よく歩き出した。両側にうっそうと樹木が生い茂る細い道は舗装されていて歩きやすい。猛暑というけれど、湖畔から吹いてくる風は涼しく、心地よい。都会とは別世界だ。
九頭竜神社本宮の鎮座地は、樹木園の中にある。受付で入場料500円也を払って中に入る。樹木園自体は神社とは関係ないので、受付で売っているのはお土産ばかりだ。入ってからさらに湖畔の道を進むと朱塗りの社殿が見えてきた。さっそくご神前で祈願をする。
さすがにマスコミで紹介されただけあって、この日も、ひっきりなしに参拝者が訪れていた。船着場にモーターボートをつけてくる人もいる。若い人たちや家族連れが多くみうけられた。だれもがパワーをいただきたいのだろう。毎月13日の月次祭はさぞかしと想像される。
各地で数多くの神社がパワースポットとして紹介されている。そうした神社では、参拝者の増加を歓迎する一方、酒気をおびての参拝や神前に供えた食べ物を野良犬やカラスが食い荒らすなど、心ない人々による行為で困惑することも多いという。そんなことでは神様もあきれて開運も縁結びもかなえてくれそうにない。すみません、神様。人間たちはまだまだ未熟です。 (東京都・HH)
『増訂 図説 白山信仰』
白山本宮神社史編纂委員会 編
白山信仰の全貌、概要が親しみ深く知れる図説集。全国白山神社の総本宮である白山比v神社の御鎮座二千百年(平成20年)を記念した事業の一環だが、本書は本宮のみならず全国的な視野で白山信仰を捉えたものである。
霊峰・白山の自然と文化と信仰そして歴史をみる「白山禅頂」、その拠点たる加賀馬場・本宮に焦点を当てた「白山本宮」にはじまり、白山に向かう他の二拠点「越前馬場と美濃馬場」、そして全国的な「白山信仰のひろがり」と続く。風景や文化財、貴重な史料、地図などのカラー写真や図説を満載・網羅して、一般にも分かりやすい白山信仰入門書となっている。
白山比v神社御鎮座二千百年記念事業では、「図説」「年表」「通史」の三部を想定しており、編纂作業は現在も進行中。本書はその一つ、「図説」に当たる。すでに平成15年に出版されたが、好評で絶版となったため、このほど増訂をほどこしての再版となった。
編纂委員会のメンバーは当該分野における研究実績を有する一流学者や同神社職員らであり、本文も的確な研究から執筆された内容を誇っている。
▽発行=白山比v神社
▽発売=北國新聞社
▽AB判、205頁、2857円+税
かぐや姫と王権神話
〜『竹取物語』・天皇・火山神話 保立道久 著
『竹取物語』がおとぎ話を超えて私たちに訴えてくるものは何か。作者が歴史の中に発見したかぐや姫伝説自身の力とは何か――。歴史学者の立場から、『物語』にある歴史の問題、歴史の中のかぐや姫の問題について諸点を探っていく。
著者が追求するのは大きく三点。一つは言葉の問題で、『物語』は漢字と仮名の変換の仕方を最初に作り出したものであり、かなもじをベースとする物語として私たちを引きつけるという。第二点は自然の問題。『物語』の自然観の鋭さを、神仙思想のみならず竹林、富士の観点から追う。三点目は『物語』の古層に神話を発掘すること。背後に大和国の広瀬・龍田社と、その地域に関わる忌部氏の神話伝承が見えるという。忌みの思想、神道の原点を示し、原始の生き生きとした神話世界を抽出する。
以上の切り口を置いて、夜の神話、月の神話、タカミムスビと火山神…といった論点から追跡し、天武天皇の時代から平安時代初期までの歴史との密接なつながりを検討していく。そして、物忌の分析から隠された神話世界を展開してみせる。
『竹取物語』の全文(新翻刻)を収録。
▽新書判(洋泉社・歴史新書y)、254頁、860円+税
▽発行・洋泉社=03(5259)0251