神道フォーラム 第36号 平成22年11月15日刊行

平成22年度第2回理事会

 神道国際学会の平成22年度第2回理事会が9月18日、東京で開催された。委任状も含めて当理事会の成立を確認後、議事に入った。今理事会では、今年末に任期満了を迎える本会役員の改選や、それに先立つ臨時社員総会について確認したほか、来年度に予定される事業・活動について議論した。
 事業のうち、2月に開かれる恒例の神道セミナーについては、テーマ「外国人学者の目に映ったカミ・ホトケ」に沿って依頼する講師候補者の選定を行なった。
 6月に予定されていたハワイ大学での国際ワークショップは諸般の事情で中止となるが、来年は国連「国際森林年」のため、国連NGОのISFとの共催で国際シンポジウムを和歌山県の熊野本宮などで開くことを協議した。
 また、「神社英文パンフレット」の推進状況を確認したほか、来年の神道エッセイコンペティションの課題(3テーマ)なども決めた。

連載・神道DNA「ノーベル賞は何で決まるか」 三宅善信師

   今年も、二人の日本人科学者がノーベル賞(化学賞)を受賞した。「近年、日本人のノーベル賞受賞者が増えたんじゃない?」と思っている人が多いと思うので、今回は、その謎解きをすることにする。結論から言うと、まさに「そのとおり」である。敗戦の傷跡がまだ癒えぬ1949年に湯川秀樹(以下、登場人物の博士等の敬称は省略)が物理学賞を受賞してから、1994年に大江健三郎が文学賞を受賞するまでの45年間でたったの8人しか受賞していないから、2000年の白川英樹の化学賞から今回の鈴木章と根岸英一の化学賞まで、わずか10年間で10人という大量受賞とは、明らかにペースが変わったと言わざるを得まい。
    ノーベル賞とは、言うまでもなくダイナマイトの発明者であるアルフレッド・ノーベルの遺言に基づいて、莫大な財産の利子を毎年、「人類のため最大の功績を残した人々に分配する」ために制定された顕彰制度で、1901年からスタートした。科学技術の進歩に伴う大量破壊兵器の発明によって、「戦争の世紀」と運命づけられた二十世紀と共にノーベル賞はその歴史を歩んできたが、私は、ノーベル賞を4つのカテゴリに分けて考えている。第一番目は、物理学賞と化学賞と生理学・医学賞の三つである。第二番目は文学賞。第三番目は平和賞。そして、番外として経済学賞がある。
   第一から第三までのカテゴリは、1901年当初から授与されている。経済学賞は、厳密にはノーベル賞ではない。この賞は、スウェーデン国立銀行創設300年記念として1968年に創設された賞で、正式には「アルフレッド・ノーベル記念スウェーデン国立銀行賞」という名の顕彰である。物理学賞と化学賞と生理学・医学賞と文学賞はスウェーデンで、平和賞はノルウェイで選考、授与される。ただし、私個人的には、第一番目のカテゴリである物理学賞と化学賞と生理学・医学賞の三賞だけが「本物のノーベル賞」と思っている。何故なら、文学の評価は、初めから主観的なものであるし、何より、選考委員が世界中の言語を理解できない以上、どうしても「翻訳された」作品を元に選考することになり、原作が非ヨーロッパ語の作品は著しく不利である。それは、これまで110名の受賞者の作品の内、原作が非ヨーロッパ語で書かれたものは、日本語の2人と、ヘブライ語とトルコ語が各一名いるだけで、あとは英語26人、フランス語14人、ドイツ語13人…と、すべてヨーロッパ語による作品であることからも明らかである。「平和賞」に至っては、今年度の劉暁波や昨年度のバラク・オバマを見るまでもなく、世界平和に対するノルウェイのメッセージとして極めて「恣意的な人選」であることは言うまでもない。
    という訳で、私が本論で取り上げるのは、物理学賞と化学賞と生理学・医学賞の三賞だけについて考察する。二十一世紀最初の日本の総理大臣は、「イット(IT)革命」や「神の国」発言など、在任中あまり評判の良くなかった森喜朗である。森首相は、「知の創造と活用により世界に貢献できる国として、今から50年の間に、日本からノーベル賞受賞者を30人程度輩出する」という具体的数値目標を提起したが、「水もの」の文学賞と平和賞を除けば、二十世紀後半の50年間に5人しか取れなかったノーベル賞をその10倍の50人輩出しようというのであるから、評論家やマスコミは森プランを笑い者にした。しかし、その後、10年間で10人受賞したのであるから、この勢いならば100人受賞も夢ではない…。因みに、日本の人口十倍以上の中国(中華人民共和国)人でノーベル賞(三部門)を受賞した人は一人も居ない。アメリカに亡命した中国系が四名と台湾(中華民国)の一名のみである。中国政府に弾圧されているダライ・ラマ十四世と劉暁波の両名が「平和賞」というのも皮肉なものである。
    よく、「ノーベル賞受賞者を増やすために創造的教育を」とか「教育予算の増大を」などという教育関係者が居るが、これは完全に間違えている。ノーベル賞に値するような発明・発見は、従来の知識の延長上にあるようなものではないので、学校教育の現場で先生から「教えられた何か」によって身に付くというような筋合いのものではない。ここに興味深いデータがある。ノーベル賞が制定された1901年から第二次大戦が終結する1945年までの国別受賞者数は、ドイツが36人、英国が25人、米国が18人である。ところが、大戦によって欧州が荒廃し、「アメリカの世紀」となった二十世紀後半の55年間は、アメリカの一人勝ちで、188名ものノーベル賞受賞者を米国は輩出した。しかし、二十世紀の後半になって、アメリカ人の頭が急に良くなった訳ではない。
   このことは何を意味しているか? 答えは簡単である。ある国が、今すぐには役に立ちそうもない科学技術の研究のために、どれだけ「無駄な金」がつぎ込めるかということである。地球に届く範囲の宇宙では「500年に一度」しか起こらないという超新星爆発時に放出されるニュートリノという素粒子を検出するために、1983年、岐阜県の地下1000メートルに3000トンの超純水で満たした巨大タンクを造り、その壁面に直径50センチもの光電子倍増管を千本も取り付けた実験装置カミオカンデ――これを使った研究で小柴昌俊が2002年に物理学賞を受賞――を製造するための予算なんて、泡銭がないと絶対確保できない。しかも、そのわずか13年後には、その横に5万トンの超純水と1万本以上もの光電子倍増管を取り付けたスーパーカミオカンデを造るなんて、まさにバブルのなせる技以外の何者でもない。
   ノーベル賞に選考されるのは、本人がそのことを研究していた時から起算して、早くて10年、遅くて30年(平均20年)ほどしてからのことであるから、最近の日本人のノーベル賞ラッシュの原因はそこにある。この勢いはあと10年は続くであろう。しかし、平成になってからの「失われた20年」という長期経済低迷と、「世界で二番目だったら何がいけないのですか?」とスーパーコンピュータ予算をカットした民主党政権の姿勢が続く限り、二十一世紀の中頃にはまた、ほとんど日本人ノーベル賞受賞者が出なくなるであろう。その意味からも、森首相の「50年間で30人」というのが、案外いい線行っているのではないだろうか…?

第15回神道セミナー  「外国人学者の目に映ったカミ・ホトケ」

神道国際学会第15回神道セミナー「外国人学者の目に映ったカミ・ホトケ」
日にち:平成23年2月27日(日)
場所:鶴岡八幡宮直会殿(鎌倉市)
日本人にとってカミガミやホトケたちを並べて祀ることは、別に奇妙でも不思議でもありません。でもそれらは外国人にはどう映っているのでしょうか。アメリカ、インド、台湾から招いた著名な日本学者たちの報告に注目です。詳細は次号でお知らせします。

ISF ニューヨーク便り

広島・長崎を追悼する世界平和の集いに参加
    8月5日、ニューヨーク本願寺で広島・長崎原爆投下を慰霊する世界平和の集いが開かれ、ISFからは中西オフィサーが参加した。
   広島に原爆が投下された8月6日の午前8時15分は、時差の関係で、ニューヨークでは8月5日午後7時15分にあたり、その時刻に、出席者一同で原爆犠牲者への黙祷が捧げられた。その後、参加者一同は火を灯したロウソクを持ち、原爆の悲惨さや平和を訴えるパネルを掲げて、市内のセントポール&セントアンドリュー教会まで無言の行進を行なった。教会では諸宗教による平和への祈りが行なわれ、中西オフィサーは神職として平和祈願の祝詞を奏上した後、原爆の悲惨さを強調し、この犠牲に学び憎しみの連鎖を断ち切って共に共存していくべきだと訴えた。
 最後は一同が手を取り合いジョン・レノンの平和を訴える歌「イマジン」を合唱した。

セプテンバー・イレブン犠牲者追悼「灯籠流し」に参加
   9月11日、マンハッタンのピア40で、セプテンバー・イレブン犠牲者追悼「灯籠流し」がおこなわれた。2001年の事件発生から9年目にあたる今年も神道、仏教、キリスト教、ユダヤ教、ヒンズー教やイスラム教などの各宗教の指導者が集まり、それぞれ犠牲者を追悼する祈りを捧げた。ISFから神職として参列した中西オフィサーも、壇上で犠牲者を慰める慰霊祭の祝詞を奏上した。引き続き、歌手の原田真二さんが広島から運ばれてきた被爆ピアノで伴奏し、会場にいる一同が平和を訴える歌「アメージング・グレイス」を合唱した。日没になると参加者が平和への祈りを綴った灯籠がハドソン川の水面に浮かべられ、NY本願寺の中垣住職が犠牲者を供養するお経を唱えた。会場近くのWTC跡地ではツインタワーのシルエットを模したライトアップが点灯され、集まった参加者達は在りし日のツインタワーに思いを馳せた。

コミニティ・カレッジで神道講座
   
ニューヨーク州北部のミドルタウンにあるオレンジカウンティ・コミニティ・カレッジの依頼で、中西オフィサーが神道講座を行った。今回のレクチャーは同校グローバル学部でアジアと世界の歴史を教えるマイケル・ストミスカ教授の授業「グローバル・イニティアティブ・アジア」の一環として神道を取上げ、ISFに依頼してきた事で実現したもの。
レクチャーはカレッジ内図書館にある講堂で開催され、"神道とは何か"という題で、中西オフィサーが神道の基本的な知識や自身の奉仕体験などを、50名を超える生徒や社会人達に説明した。NY州北部に位置するミドルタウンはニューヨーク市と違いアジア人の姿も見かけない小さな街で、日本語や日本文化の授業を履修した事がない出席者が殆どであったが、中西オフィサーの奉仕体験も交えた丁寧な説明に聞き入っていた。質疑応答では「アメリカ人でも神職になれるのか」「神職にも恋人や配偶者はいるのか」などの質問が出て、オーストリア人の神職が資格をとったことや、結婚して子孫に伝統を伝えていく事が大切との回答に頷いていた。

コロンビア大学のシンポジウムに参加
   10月7日〜9日の3日間、コロンビア大学日本宗教研究所主催でシンポジウム「日本仏教の実践におけるイメージと対象」が開かれ、中西オフィサーが出席した。シンポジウムにはアメリカ国内の大学、日本やヨーロッパの研究者が集まり、「造仏の意義」「仏像を通じた仏教的表象」「宗教テクストとしての絵伝」「尊像など」今回のテーマである仏教美術に沿った研究成果を発表した。
   神道国際学会理事でもあるベルナール・フォール・コロンビア大学教授も「弁財天と荼枳尼天―問題と謎」の題で発表を行い、弁財天や荼枳尼天をはじめとする様々な絵伝や曼陀羅の解説を通じ、それぞれの絵伝の背景に描かれている神々や仏などの構成要素はとても重要であり、それらに着目すれば、その序列やそれぞれが持つ力、またその時代の信仰形態などが読み取れると結論付けた。
   コロンビア大学の日本宗教研究所主催のシンポジウムは3年前の「神道」をテーマにしたシンポジウムに始まって年に一度開催されており、ISFからも毎回中西オフィサーが出席している。

国連広報局主催ブリーフィングに参加
   10月7日、中西オフィサーは国連広報局が主催する「今日の都市におけるホームレスの現状」に参加した。
   まず世界中では11億人に及ぶ住民が劣悪な住環境に暮らし、そのうちの1億人がホームレスという報告があり、続いて国連人権委員会の担当者による途上国の貧困層に住宅を供給するプログラムの紹介や、ホームレスの自立を支援するNGO団体の活動紹介などが行われた。そして報告の最後にモデレーターが都市におけるホームレスの問題は深刻であり、会合に出席したNGOの代表者が各国政府や国際機関に貧困解消のために、積極的な援助活動を働きかけていくべきであるとまとめた。
   このブリーフィングは国連広報局が認可するNGO団体を対象に、毎回様々な社会問題や国際情勢を国連関係職員、各国外交官、研究者、NGO職員などの専門家を招いて情報提供するもので、毎年春と秋の間数カ月間に亙って開催される。秋の初会合に参加した中西オフィサーは「国連NGOの一員として出来る限り意欲的に参加したい」と話している。

神道国際学会ロシア連邦事務所便り

 毎年のロシア語による神道エッセイコンテスト、毎月開かれる日本文化の広報イベント「影クラブ」などに加えて、今年は初のロシア語の神道事典の出版、神道エッセイコンテストの優秀論文集の出版など、活動がめだつロシア連邦事務所だが、エルゲーナ・モロジャコーワ所長の指導のもと、事務所の事務を一手にひきうけているのは、ラーダ・フェヂアニーナさんだ。ラーダさんは天神信仰でモスクワ大学から博士号を取得している神道研究者でもある。
 ラーダさんは、本年8月にカナダ国トロント市で開催された国際宗教学宗教史会議の世界大会に参加、北野天神絵巻について発表し、また9月にはサンクト・ペテルブルグ市の世界宗教史博物館の常設展示「東洋の宗教―仏教、儒教、道教、神道、ヒンズー教」のオープニングに、神道国際学会ロシア事務所の代表として招待を受けた。以下はラーダさんによる報告である。

国際宗教学宗教史会議大会に参加して
 北米は初めて。これほど大規模で意義深い学会は初めて。私の英語は十分だろうかどきどきしながら、開会2日前に開催地であるカナダのトロント市に着いた。
 8月15日から21日まで、国際宗教学宗教史会議の第20回世界大会が開かれた国際都市トロントは、昔の建物とモダンなビルが驚くべき組み合わせで林立した素敵な大都会だ。
 すばらしい日本関連の陳列があるオンタリオ博物館で、大会の開会式がおこなわれるという。私は大会が開かれる前に、この博物館を見学に行くことにした。トロントのシンボル博物館は、今回の大会のシンボルのようでもあった。超モダン形式と古い伝統の組み合わせだったから。その博物館の建物そのものも不思議で印象的だった。なぜかというと、古い建物の中からMichael Lee-Chin Crystal(マイケル・リーチン・クリスタル)という新しいビルが出て来たからだ。そこでは、何かのレセプションの準備をしていた。私は「誰がこのレセプションに来るのだろう」とうらやましく思った。ところが二日後に、自分自身が大会の参加者としてここに来たのだった。とても嬉しかった。
 開会式の時に、日本からの参加者が大勢いることに気がついた。大会参加者およそ750人のうち、日本からの研究者は70人ぐらいということだから、一割弱は日本人ということになる。最初に知り合いになったのは、ドイツのことを研究している日本の先生だった。
 参加者の専門分野はヒンズー教、イスラム教、ロシアの宗教、ユダヤ教など多岐にわたった。日本の宗教に関するパネルもあり、主に、日本の現代宗教の現状、新しい宗教傾向、1930年代の宗教の流れ、創価学会インターナショナルなどがテーマとなった。
 もちろん神道に関わるパネルもあった。私はパネル「Shrines, Rites and Sites」に参加して、「北野天神縁起に描かれる天神信仰の歴史(History of the Tenjin cult as described in the Kitano Tenjin Engi)」というテーマで発表をした。幸いに私の発表は好評で、欧米や日本からの研究者から、この縁起の原文、天神信仰の成立、天神信仰にみられる神仏習合について質問があった。
 数十カ国からの参加者による討論、意見交換は相互理解にあふれ、打ち解けた雰囲気で行われた。この第20回大会は、約150年の歴史を持つ宗教学の発展の結果を示し、また宗教学の将来を予想させるものであった。特に注目されるのは欧米の学者が持つ東洋に関する関心と、逆に、欧米に対する東洋の学者の関心である。そして畏敬の念を起こさせたのは、現代世界に意味ある役割を果たしている日本文化・宗教に関する多様なアプローチであったというのが私の感想である。

ロシア国立宗教史博物館で東洋の宗教の常設展オープン
仏教やヒンズー教、神道も

   サンクト・ペテルブルグ市には、世界の宗教、宗教の歴史を語るロシアで唯一の博物館がある。ロシア国立宗教史博物館といい、およそ80年間にわたって活動している。皮肉なことに、ソビエト時代には、市内で一番有名で大きいカザンスキー大聖堂に国立宗教歴史・無神論博物館という名で存在していた。それが、2000年に、現在地に移転したのものだ。
   私が勤めている神道国際学会ロシア連邦事務所は、この数年間にわたって国立宗教史博物館と密接な関係を持っている。2007年に神道国際学会の梅田善美理事長が国立宗教史博物館を訪問した際、神道関係の展示物を寄贈することを約束、帰国後に、神道の祭りや儀式に使われる品々を送ったのである。
 今年、国立宗教史博物館は「東洋の宗教―仏教、儒教、道教、神道、ヒンズー教」という常設展を公開することになり、神道国際学会ロシア事務所が招待を受けた。そのため私は、9月28日に、サンクト・ペテルブルグ市のポチュタンムツカヤ通り14にある当館を3年ぶりに訪問したのである。
   中央アジア・極東の宗教を紹介する当館の豊富なコレクションを、一般の人々は今まで見るチャンスはなかったのだが、この常設展のおかげで東洋諸国の宗教に関する800点以上に及ぶ陳列品を見ることができるようになった。ホールの一つは二つの部分に分けられて、さまざまな信仰・宗教が長い間共存している日本、中国の宗教を紹介している。展示デザインは非常に面白く、たとえば仏教に関する陳列品はお寺の形のケースの中に飾られていたり、別の何個のケースには絵馬、熊手、お守りなどが置かれている。陳列品のことを紹介している情報だけでなく、神道そのものや神仏習合についても紹介されている。開会式では、日本陳列品の担当者であるシャンデイバ・セルゲイ氏が、日本宗教のさまざまな品物について説明し、招待客は興味深そうに聴いていた。

From Abroad:全成坤氏(高麗大学日本学研究センターHK研究教授)

宗教・民俗・思想……
多分野から日本文化論を展開

   慶州大学で日本語を学んだ後、来日。9年におよぶ留学生活に入った。近畿大学大学院修士課程では比較文化の視座を重視し、また大阪大学大学院日本学科の博士後期課程に進んでからは、日本を様々な観点から分析する「日本学」を専攻した。
   宗教、民俗、思想など多分野から総合的に判断する日本文化論を、そして、日韓の文化交流史を精査する日韓関係論を展開してきた。「文学や語学だけでは表面的にしか日本を理解できない」ということを、日本論を打ち出すときの身上とする。
   「植民地時代に受けた被害意識が今も韓国内にあるのは当然。しかし、『日本は帝国主義だった』で終わってしまっては意味がない」と話す。「たとえば明治時代、日本が西欧から流れ込むものを取り入れながら、独自の近代や社会をどういう論理と工夫で築いたのか──。それを合理的に、構造的に明らかにすることも大事です」
   歴史的な事実は事実として、日韓関係の新たな発展も展望しつつ、日本語学や文化交流論にメディア論なども加えて、日本研究を続けている。「留学時代の緊張感を保ちながら、両国文化を互いに発信することに貢献できれば」と希望を語っている。

   勤務する高麗大の日本学研究センター(崔官センター長)では、日本の最新動向を追う雑誌「日本研究」を年二回、発行しているが、その編集作業にも関わっている。政治、経済、社会、文化など諸分野における学者が執筆し、学術的に厳しい審査を経た論文が並ぶ。
   編集参画にあたって念頭にあるのは「人々の感性に根ざす人間的、人文的なるものと、発展を目指す技術的なるもの――。その両輪を視野に研究する必要がある」ことだといい、地域研究における総合性を主張する。
   また最近、同センターから『日本文化辞典』が刊行された。韓国初の、韓国人研究者のみによる日本辞典だ。日本留学に経験のある130人ほどの学者が筆を執り、二千余項目、890ページという大部となっている。その編集・執筆の一人にも加わった。「表層にとどまらず、しかも日本文化全般にわたる本格的なもので、非常に意義ある辞典となっています」と強調している。

   帰国前には、大阪大学で外国人招聘研究員を、近畿大学で非常勤講師を務め、韓国に戻ってからは現職以前、慶州大学、カトリック大学、建国大学などの講師を歴任した。著書に『日帝下文化ナショナリズムの創出と崔南善』『日本人類学と東アジア』がある。日本と韓国で書いた学術論文も多数。

話題のこの人:宮田修氏(神職・元NHKアナウンサー)

神道のこころを人々に―
アナウンサー時代の経験からまとめた 社頭で活かす話し方・伝え方

   NHKを退職して2年。神主にしてアナウンサーという「二足のわらじ」は脱いだが、講演会や放送大学の講師に、神社の催しの司会に──と依頼が殺到し、忙しさは増している。
   「本当は、宮司を引き受けた神社のある千葉の田舎でノンビリ過ごすはずだったのですが」と笑うが、東奔西走、日本の伝統を人に伝える場に立っていることに、使命と充実を感じているようだ。

   アナウンサー時代、週末に休息する里山の家が欲しいと、物件探しを友人に頼んだら「彼は見事に期待に応えてくれた」
   江戸時代に建てられた庄屋造りの、重厚な民家。しかし同時に、宮司を務める隣家の老人から、神社を継いでくれと懇願されるオマケが付いた。断りきれず、神職資格を取り、神明に奉仕する時間が加わった。
   「でもそこで、50歳を過ぎて私は出会ったんですよ。日本人としての遺伝子を蘇らせ、思い出させてくれるものに……」
   その村落には、今どきではあるが、共同体的な助け合いの暮らしが残っていたという。

命や自然を大切にする心情、助け合いの共同体……
  「日本人は日本人の生き方を生きたほうが楽なんです」


   「みんながお役目を持って、お役目を果たして暮らしている。『自己自立だ!』なんて片意地はらず、もたれ合って、見せ合って生活している」
   互いに干渉せずという現代の風潮にあって、いまだ息づいている素直な生き方に心打たれた。
   「だから私は講演でも言うのです。『西洋から取り入れたものが悪いとはいわない。でも、それだけでは疲れてしまうんじゃないですか? 私たちは日本人のDNAを持っているんだから、素直に日本人の生き方を生きたほうが楽なんじゃないですか?』って」
   さらに、「私たちには、中今(なかいま)に生き、生かされ、そして命をつないでいくという考え方があるんですよ」──命や自然を大切にする心情の在りかを、若い世代に向かって、そう語る。
   「すると彼らは『それって、いいですね!』と感動する。当たり前のことが、彼らにはすごく新しいことだったりするのです」
   世代間の格差は大きくて、言葉で伝える重大さを、あらためて実感する瞬間だ。

「言挙げせず」から言葉を尽くさねばならぬ時代に

   神道を、そして日本の良さを取り戻すために、神主の責務は大きいとの思いが日々、膨らんでいる。
   そしてこのほど、神主を対象にした『神道講話への誘い』(戎光祥出版)を上梓した。
祭りに集う氏子や崇敬者、あるいは日々の参拝者に、どう神道や神社の持つ意味や心を伝えるか。アナウンサーの経験を駆使して、講話をするときの心得や注意点を語り、話術などテクニックにも踏み込んだ。
   「人前で上手に話すテクニック(第一部)」に続けて「神道講話の具体例を読む(第二部)」では、歳旦祭や祈念祭、地鎮祭など各祭事での、あるいは式年遷宮、七五三、氏神さま、ご先祖など各テーマでの、それぞれの話の組み立てを、体験から編み出した実例として盛り込んだ。
   「神道には『言挙げせず』の伝統がある。言わずとも伝わるという思想は素晴らしい」とは言うものの、神主も言葉を尽くさねばならない時代だとも強調する。
   「私は神社界では新参者。したり顔で教学や教化など語ることはできません」と控え目ながら、「長いアナウンサー生活から得たものによって、違った形で神社界に貢献できるはず」と力を込めた。

書評:"A New History of Shinto"

"A New History of Shinto"  岩澤知子(麗澤大学外国語学部准教授)

   本書は、海外において神道研究をリードする二人の研究者―ジョン・ブリーン氏(ロンドン大学SOAS日本部長・国際日本文化研究センター准教授)とマーク・テーウェン氏(オスロ大学日本語学科教授)―の共同作業による、「神道」という概念の歴史的成立過程を改めて掘り起こそうとする画期的な試みである。
   本書は、「神道」に対する一般的理解、すなわち「神道とは、古代から今に至るまで、その本質を変えることなく続いてきた日本本来の民族宗教である」という観念に対して、疑問を呈することから出発する。日本の宗教史において、仏教や儒教から区別された原始的・本来的民族宗教としての純粋で一貫した「神道」というものが、果たして真に存在したのだろうか、と本書は問うのである。実はこれと同じ問いは、20世紀半ばに活躍した日本の歴史学者・黒田俊雄によって既に提出されていた。黒田は「中世国家と神国思想」(1959年)という論文の中で、こうした「神道=古代から一貫して続く日本本来の民族宗教」という観念は、明治期の神仏分離の中で作り出された誤った考え方である、と主張したのである。本書はこの黒田の仮説を前提としながら、更にその議論を発展させて、黒田によって明確にされることのなかった「神道」概念の形成に向けての歴史的変化の過程を、できる限り詳細に分析しようとするものである。そのために本書が採用した方法論は、神道にとって重要な三つの要素―「神社・神話・儀礼」−を取り上げ、その各々を代表する具体例を挙げて(ここでは「日枝(比叡)神社」・「天岩戸神話」・「大嘗祭」が分析対象となる)、それらの事例が、日本の長い歴史の中でどのような変化をくぐり抜けながら、現在の「神道」という枠組みの中に収まっていったのかを、詳細に分析していく手法である。
   この分析を通して見えてくるのは、古来、これらの「神社・神話・儀礼」は、「神道」という枠内に決して収まりきることなく、仏教・儒教・道教といった他の宗教伝統とも深い関係を結びつつ、時代ごとの要請によって様々に意味を変化させながら発展してきた、という事実である。そこに見出されるのは、「神道の純粋性」などではなく、あらゆる宗教伝統をいとも簡単に取り入れてしまう、日本古来の神信仰の寛容さであり、曖昧さである。しかしながら、このように多様な宗教との共存を可能にしてきた日本の神信仰の豊かな伝統は、明治時代に完成をみる「神道化」への過程で次第に変質していき、最終的に「神道」は、「宗教性」を剥ぎ取られた政治的・社会的装置となってしまった、と本書は指摘するのである。
   こうして本書は、日本の神信仰が「神道化」されていく過程で、いったい何を生み出し、そしてまた何を失っていったのかを、我々に教えてくれる。最後に本書は、「神道」の未来について次のように語る。「これまでと同様、神道は歴史の流れに沿って変幻自在に姿を変えていくであろう。その意味で、神道は歴史の変化に対して開かれた宗教であり、この宗教が今後いかなる道を歩んでいくかは、その変化に対応する人々の行動(action)如何にかかっている」と。現代に生きる我々が「神道とは何か」を改めて問い、その現代的意義を探ろうとする時、本書は、ひとつの重要な示唆を我々に与えてくれるであろう。

◎本書は神道国際学会でも取り次いでいます。送料込みで、一般価格5,000円、会員特別価格は4,000円です。事務局にお問い合わせください。

神社界あれこれ

宵宮に妖怪仮装行列も
京都の大将軍八神社

   方除の神様、京都市上京区の大将軍八神社で10月17日、例大祭が執行された。先立つ14日には、大神輿とともに渡御する「ずいき女神輿」の飾りが姫星会により行なわれ、宵宮の16日には、神社に近い立命館大の愛好会による「よさこい」や、子供らの沖縄民舞、オロチに見立てた綱引き「おろち引き」、献茶祭、富くじなど神賑わいの行事が繰り広げられた。
   なかでも最近人気なのが宵に行なわれる妖怪仮装行列(主催=大将軍商店街)。古道具は長い年月を経て妖怪「付喪神」に変化するが、神社前の一条通は古くは付喪神の通り道だったのだという。仮装行列は名付けて「一条百鬼夜行」。5年ほど前、商店街が町おこしで「妖怪ストリート」と決め、例大祭に合わせて始めた。折しも妖怪ブームとあって、今年も多く見物客が集まった。

伝統の菊まつり開催中
茨城の笠間稲荷神社
   茨城県笠間市の笠間稲荷神社をメイン会場に、第103回「笠間の菊まつり」が開かれている。今月23日まで。日本で最も古い菊の祭典ともいわれ、菊花約一万鉢が境内や周辺を飾りつくす。例年、「菊人形展」も人気(入場有料)。今年は「龍馬伝」で、全十三景プラス番外二景。ほか様々な奉納行事や催しもある。

各町の山車が揃い曳き
川越氷川神社の「川越祭」

   古い町並みが残る埼玉県川越市の総鎮守、氷川神社の例大祭が10月16、17日に行なわれ、国指定重要無形民俗文化財に指定される「川越氷川祭の山車行事」も繰り広げられた。
   通称、川越祭といい、各町内の絢爛豪華な山車が曳き出され、蔵造りの街筋を巡行し、競演を披露した。すっかり秋めいてきた 小江戸 川越は、伝統の祭礼絵巻を楽しもうという観衆で埋め尽くされた。

発掘で最古級の神宮寺を裏づけ
福井県剱神社
   福井県丹生郡越前町織田の剱神社(田中範夫宮司)で今年7月に境内の発掘調査(越前町教育委員会)が行われ、奈良時代末の須恵器などが出土し、同社の神宮寺とされる剱御子寺(つるぎみこでら)の存在が改めて裏づけられた。また室町期の古絵図に描かれた神社と神宮寺を区切る水路も見つかり、伽藍の配置など実態解明に向けて新たな段階に入った。
   越前地方は、神宮寺の先進地と見られ、越前一宮の氣比神宮には、記録が残る中では最古の神宮寺(廃寺)が存在した。越前二宮の剱神社と氣比神宮は海を通じて密接に結びついていたと見られ、剱神社にも「剱御子寺鐘/神護慶雲四年/9月11日」と刻まれた梵鐘が伝わるなど、八世紀後半までに剱御子寺が存在していたことが明らかとなっている。
   さらに、古代の山岳信仰とも関わる剱御子寺は氣比神宮寺より古く、神仏習合の源流地ではないか、との論考がある。今回の発掘ではその点にも注目が集まったが、出土した須恵器高杯蓋片は八世紀末に比定されるに留まった。それでも、梵鐘以外の物証により剱御子寺がすでに奈良時代に活動していたことが判明し、今後の研究がさらに期待される発掘結果となった。
   剱神社に隣接する越前町織田文化歴史館では、9月4日から10月11日まで企画展「神仏習合の源流をさぐる―氣比神宮と剱神社」を開催し、氣比神宮寺と剱御子寺に関わる貴重な資料を一堂に公開した。

境内に立つ真っ黒な八咫ポスト
和歌山県・熊野本宮大社
   熊野本宮大社の境内には、神鳥の三本足の八咫烏が羽ばたく姿を頭にいただき、真っ黒に塗られた昔ながらの丸型ポストが設置されている。その名も「八咫(やた)ポスト」。
   郵便ポストといえば赤が基本だが、この真っ黒なポストも日本郵便の許可をとった、れっきとした郵便ポストで、毎日一回収集される。境内に郵便ポストを置いている神社は全国的にも珍しい。
   八咫ポストの隣の大樹は「多羅葉」というご神木で、この葉に文字をかくとその文字が浮かび上がるという不思議な木。これが「葉書」のもとになったという。同社では、地元のNPOが復活させた手漉き和紙「音無紙」でできたハガキも販売している。
   九鬼家隆宮司の説明によると、「黒は全ての色をあわせた色であり、大地を象徴する色であり、神の使いである八咫ガラスの色」。そして「自分の思いを手書きの文字に託し、大切な人とのつながりを再確認してほしい」と投函を呼び掛けている。 

来年の「神話カレンダー」できる
埼玉県神社庁教化委

   埼玉県神社庁が監修する平成23年版「神話カレンダー」がこのほど完成した。日本神話に親しんでもらおうと作られているもので、11年目となる。今回のテーマは「天の岩屋戸」。ちなみに今年は「三種の神器」、去年は「天孫降臨」だった。絵とデザインは同県秩父市の画家、笠原正夫さん。
   1ページ2ヵ月分の暦の上半分が神話とそのイラストで、一年分を通して読むと完結するようストーリー性を持たせている。暦の部分はミシン目で切り離すことができ、年末には神話のみが手元に残り、読み返せる仕様だ。
   作成は同神社庁教化委員会。その情報部長を務める吉田弘氏(箭弓稲荷神社権禰宜)は「小学生でも分かるような物語に書き上げたところが基本です」。「記紀」神話が原本だが、こま切れの一話一話をつなぎ合わせて肉付けし、ストーリー仕立ての紙芝居風となるよう工夫したという。
  「ヤマタノオロチ、因幡の白ウサギ、海幸山幸。お話のタイトルは聞いたことがあっても、中身は知らない、話の続きは知らないという人が多い。『へぇー、そうだったんだ』と、まずは納得してもらえれば、我々も教化の一つの足がかりを踏んだと言えると思います」と同氏は話している。

   同教化委・情報部会では、神話を読み聞かせる「語り部」という活動も始めている。
10月には試行で「神話の語り部」と名づけて読み聞かせ会を開いた。雅楽演奏家の中村香奈子さんにも横笛で加わってもらい、情景が浮かぶよう音も取り入れた。語りのための脚本も作った吉田氏は、「今後はそうしたテキストも皆さんの参考になるよう提供していければ」と言い、幼稚園や図書館なども巻き込めればと考えている。
ただし、「私たち神主だけが動くようにはしたくない。聞いた人が『おもしろいね』と感じ、次はその人たちが主体となって、活動を広めてもらうのがベスト。『良いものだから読め』では皆さんに失礼です。要は感じてもらえるよう、発信するということですね」とも付け加える。
   神話カレンダーという「物」を足がかりに、一歩すすんで「生」の語りへ――。「教化とは自己満足ではなく、やはり社会貢献だと思う。忘れかけている『協力』『思いやり』『道徳心』……。それに自ずと気づいてもらえれば、それが一番です」

新刊紹介

『国家神道と日本人』 島薗 進 著

 「国家神道とは何か」を論ずることで、近代日本の精神構造を解明。そして、国家神道は今なお「存続している」と指摘する。
   たしかにGHQの「神道指令」で神社と国家は分離したが、皇室祭祀は存続し、国民の皇室崇敬の心情は生きている。近代には「祭政一致」と「信教の自由」の共存した二重構造があった。その構造は「今も残っている」と著者は捉える。
   皇室祭祀は漠然と思っているよりも日本人の精神のなかで中核的なものであるとの指摘は多い。
   著者も、素朴な民間の神道や信仰など「多面性」にも配慮を置きつつ、近代の、そして現代にも核としてある皇室祭祀が、日本人の精神史の背景を探るのに重要な鍵になると考えている。

▽新書判〈岩波新書〉
▽237頁、840円(税込) 
▽岩波書店